母は、がんの検査すら拒否していました。
どうせ治療しないから検査しても意味がないと。

私たちは
せめて検査だけでもして、知ることだけ知ってもいいじゃん?と
母を説得しようとしました。
放置はあんまりだと思って。
「入院、食事は出てくるし看護師さんが世話してくれるし、楽しいかもよ」と言い続けました。

そこから3ヶ月、ようやく母は検査を受けてくれました。

しかし、検査自体が結構しんどかったようで
母は逆に体調を崩し、
そこからめっきり体力が落ちてしまい、戻りきれずにいます。

そして、検査結果は
すい臓がんは再発のものでなく原発、
肺がんは・・・
よくわからない。
母は、適当なことをいうのでよく理解できないのです。


先日、facebookで高校時代の友達と連絡をしました。
「去年同窓会こなかったね」と言われ
「連絡がこなかったから知らなかったよ」と言ったら
「え?電話して、お母さんに伝言を頼んどいたよ?」と言われて・・・


うちの母は、電話の伝言すらできない人です。
「ポップコーン、誰かから電話があったよ☆」と言われることはありますが、それだけ。

「誰から?」と聞いても「わからん」
「どんな内容?」と聞いても「忘れた」


これは・・・伝言を頼まれない方がまだましです。
伝言を頼むことで、相手は私に連絡がついたものと思っているのですから・・・


「せめて誰からか聞いて!電話を受けた意味がないでしょう!」と言っても
逆に開き直られ、キレられるのです。
今までどんな社会人生活を送ってきていたのか理解できません・・・

愕然とし、情けなく、久しぶりに惨めで泣けました・・・



恩師の定年の記念の同窓会、行きたかった・・・
せめて、連絡だけでもついていたら・・・



まあ、そんな母なのですが・・・
検査で体力が落ち、また、検査しても治療しないとのことで

もしかして、検査を勧めたのは私たちのエゴなのかもしれない

と思い始めてしまいました。

本人の望まない検査を受けさせて、体力も落とさせてしまった。
本人の命なのだから、本人の意向を尊重するのが本来のすることなのかもしれない・・・

そんな風にも思います。


でも、私達娘の気持ちはどうなるのでしょう。
おいてきぼりじゃないでしょうか。
治療も受けてくれない、って、
自分の命を粗末にさせるのを黙って受け入れさせられるのって、

暴力に近いように思えてしまいました。

なぜ普通に治療すら受けないんだ!
なぜ猟奇的な民間療法に走るんだ?
なんで私はそんな母を持っているんだ!と、
私は、またさらに精神的暴力を受けているような気持ちになってしまい、
葛藤しました・・・

でも、それも、エゴなのかもしれません・・・


手術を受ければ長くなるかもしれない命を
むざむざと放置して短くさせるかもしれない
それを黙って見ているのは砂を噛むような思いで
全身をかきむしりたくなりますが

母の命、母の人生なので、母の自由にさせます・・・