また幼少期に戻る
母は我慢ばかりしている人だった。
この頃は母が何かにつけ父の標的だった。
容姿や体型をいじられ、なにもできないとよく怒られていた。
姑とも仲はよくなかったように思う。
しかし姑が病気になり、最期までちゃんと看取ったのは母だった。
母は資産家の娘だった。
いわゆるお嬢様で確かに料理は苦手だった。
でもお裁縫は得意で洋服を作ってくれたり、鞄をつくってくれたりそんないい思い出がたくさんある。
お茶目な一面もたくさんあってチャーミングな人だった。
そして何より私を大切に育ててくれた。
父親を好きになってしまい短い人生となってしまったように思う。
父親はそこそこの資産家の息子であったようだが父親の父親が金をだまし取られ、貧乏になりそのまま親が亡くなってしまった事により貧乏になったのだと聞いたことがある。
そのためかお金に対する執着が異常なように思う。
母と出会ったことで人生は一変するのだ。
よく母が泣いて実家に帰ってきていたとおじから話を聞くことがあったが、おそらくお金を借りにいっていたのだろう。
父親は休日となると百貨店に出向き、ありとあらゆるブランドで買い物をしていた。
待たされる子供としてはかなりの苦行だったが文句をいえば怒鳴られるので我慢していた。
自分の給料はほとんどを自分の買い物に使い、生活費は祖父からの援助だったのだろう。
今考えてみてもあんな派手な生活、ただのサラリーマンにできるわけがないのだから。
母はきっと強く出ることができなかったんだろう。
私たちはあまり見てはいないが、おそらく口答えをしたら殴られていたんだろう。
一度だけ母が殴られて家を出て行くと大げんかしたことを見たことがあるが私たちの前ではそれきりだった。
そしてしばらくした頃母に病気が見つかった。
我慢強い人だったので病気もしばらく病院に行かず放置していた。
病院に連れて行かれた頃にはもう手遅れで、手術も受けたが回復に至らず、母はかえらぬ人となったのだ。
きっとたくさんの我慢が体中にたまってしまったんだろう。
弱音を吐くタイプの人ではなかったから抱え込んでしまったんだろう。
そんな母のようになりたくないと思ってしまっていた。
母をもっと大切にしたかった。
何も助けてあげられなかった。
ずっと私たちを守ってくれていたのに。
母は幸せだったんだろうか。
ごめんなさい、お母さん
会いたい、話したい、最期まで父を想ってなくなっていったお母さん。
幸せでしたか?