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毒親との果てしなき戦い ~金の無心は終わらない~

現在20代後半の女性です。大学生の頃、自営を営む父の事業が傾いて以降、毒親と、毒祖母に散々金の無心をされ、精神崩壊寸前まで追い詰められました。
世の中の全ての毒親に悩む皆さんに、少しでも勇気を与えられて、かつ、勇気を与えて頂けたら幸いです。


そんな狂気にあふれた生活が毎日繰り広げられる中、
祖母は、競売にかけられた自宅を取り戻そうと、必死でした。

その額、約2,500万円。

祖母は、
「努力して努力して、やっと手に入れた自宅を手放すくらいなら、家を引き渡すのと一緒に自決してやる」と断固として言い張る父を見て、またそんな父の自虐ぶりをみて、このままでは本当に父が自殺してしまうと考えたのでしょう。


そんな父のために、周りの反対も押し切り、自宅を買い戻すために奔走を始めました。


もちろん、その火の子は私にも降りかかってきました。


当時まだ大学生だった私に、
「私ではもうそんな大金を借りられる伝手も手段も限界があるから、
あんたもだれか知り合いの人に頼んできてほしい」と言われました。



私はその頃大学生。

学校は奨学金で通っていましたが、本来は学費にあてるはずの奨学金ですら、実家の生活費にと渡していた状態でした。
学費は自身がバイトをしたり、時には知り合いの人に工面をしてもらったこともありました。


ただ、大学生の私でも、さすがに2,500万円のお金を集めることがどれだけ大変かは分かります。

私は断りました。

「絶対に後からもっと苦しい目に合うし、とりかえしがつかなくなるから、
家を取り戻すのは諦めてください」と。


それでも頑なに、祖母は私の意見を聞きませんでした。

「自分の息子があんな風に弱っていたら助けないわけにはいかない。
あの子は家がとられたら本当に死んでしまう。あんたは実の親をみすてるのか」と散々言われました。


自身も80近くなりヨボヨボな祖母が、自分の息子のために躍起になっている。
私は、絶対に嫌だと思っていましたが、
毎日毎日、「お金はどうなった」「誰かに頼んだのか」と問い詰められる毎日から、追い詰めらて行きました。


そして、その時のバイト先で知り合いだった、当時50代のとある男性(Bさん)に、
家の事情を話し、300万円というお金を借してもらえることになりました。

その男性は、私のことを不憫に思ったのでしょう。
たださすがに額も額ですから、祖母同席の上、借用書を書こうということになりました。


忘れもしない、Bさんと、家の近くの喫茶店で待ち合わせ、
300万円を借りること、お金はその年内には返済することを明記し、

保証人に祖母、

そして連帯保証人欄には、まさかの私の名前を書け、と、祖母に言われました。


私はまさか自分の名前を書かなければならなくなるとは思いませんでした。
母はその話を聞いていたにも関わらず、私が代わりに書くとは言ってくれませんでした。


もし返済できなかったらどうなってしまうんだろうと、涙を流す私に対し、

祖母は「形だけだから安心しろ。
そんな、あんたに払わせるなんてみっともないこと死んでもさせんから大丈夫。」
と言い、

Bさんも、「もし返せなくても、お前に請求するようなことはしないから安心しろ。とりあえずここは形だけ名前をかいとけ。」と、こっそり私を諭しました。



これが、私が若かったことからの誤り、第一の大きな失敗でした。



これにより、その後私は200万円の返済を強いられ、給与差し押さえをくらい、悲惨な生活を送ることとなるのです。



ちなみにもちろん、300万円を借りるにあたって、私はBさんと関係を持ちました。

「貸すにあたっては、条件があるなあ。わかるよね?」と言われ、

もはや“無”の感覚で、ベッドの上で行われていた行為の最中、
ただただ天井をボーっと眺めていたかすかな記憶が、今もあります。


もうどうでもいい、誰か助けてほしい、とそれだけを考えていました。