血まみれの父と、泣き叫ぶ母。 | 毒親との果てしなき戦い ~金の無心は終わらない~

毒親との果てしなき戦い ~金の無心は終わらない~

現在20代後半の女性です。大学生の頃、自営を営む父の事業が傾いて以降、毒親と、毒祖母に散々金の無心をされ、精神崩壊寸前まで追い詰められました。
世の中の全ての毒親に悩む皆さんに、少しでも勇気を与えられて、かつ、勇気を与えて頂けたら幸いです。

振り返ると、私が毒親の犠牲になりはじめたのは、大学1年生のころからでした。


その頃父は輸入業を営んでおり、海外から買い付けた商品を売る商売をしていました。
母はそれを手伝い、生計を立てていました。


しかしある日のこと。

父の事業が、とある理由から銀行取引停止となり、資金繰りが回らなくなりました。

と同時に、追い打ちをかけるように、
家計の2本柱だった、私の祖父(父方の父)が脳梗塞で倒れ、要介護状態に。

家計は火だるまになり、困窮しました。



そんな中、父はどんどんおかしくなっていきました。

最初はひたすら落ち込みふさぎこみ、精神科で処方された薬を飲む程度でした。

一日中寝てるかと思えば、
夜中に突然起きて朝まで一人パソコンをいじっていたり、
「もう俺なんて死んだ方がいいんだ」「もう何をしてもだめなんだ」と、ネガティブな発言を繰り返す毎日。

ただこのころはまだマシでした。誰も傷つけることはなかったから。



しかし、悪夢はおこりました。



ローンが残っていた実家の返済が滞り、自宅が競売にかけられることとなったのです。


それ以降、薬ではどうにもおさまらなくなった父は、自分を傷つけるようになりました。
いわゆる自傷行為です。


小型のサバイバルナイフや、大き目の包丁、金属バットなどを家の中におき、
気に入らないことがあると、自分の腕や背中、額、胸などを切りつけるようになりました。

もちろん、周りに対しても攻撃的になり、
車を運転していて、隣からぬかされようものなら、その車を追いかけまわし、

「てめーふざけんじゃねーぞ、おりてこい、こらあ!」と大声をあげて追いかけまわしたり、相手のドライバーを車から引きずりおろしたこともありました。

また、カフェで少し目があっただけの人に、「なんか文句あんのか、こら!?」
と、因縁をつけるようにもなりました。

バッグにはいつも携帯ナイフを持ち歩き、家の中でも気に入らないことがあると、
金属バットを床にどんどんとたたきつけ、「俺に刃向うやつは徹底的に打ちのめす、上等だ」と、私達を威嚇していました。


当時、自宅には、父と母、そして大学1年の私、中学生の弟がいました。


自傷を続ける父の姿を見るたびに母は「もうやめてやめて」と泣き叫び、
ただただ父の傷を毎回介抱し、薬を飲ませ、まるで暴れた象を寝かしつけるように、毎日けなげに対応していました。


父は、ある日には、ナイフを持った状態で近寄ったことから愛犬に吠えられ、
それに腹を立てて、愛犬を血まみれになるまで切りつけたこともありました。

その時家には私しかおらず、私はキャンキャンと泣き叫ぶ愛犬がかわいそうでならなくて、
ナイフを手に持ち血走る眼をした父に「もうやめて!」と止めに入りました。

すると父は私に向かって、「ひっこんでろ!お前も殺すぞ!」と、こっちを見てナイフを向けてきました。
私はさすがに恐怖と命の危険を感じ、そのまま近くの公園に走り、公園の中の物置に隠れていました。


あの時、出かけていた母と祖母に電話をかけ、
「もう耐えられない。私がいますぐ病院か警察に電話して、強制入院してもらう」といったにもかかわらず、自分の息子がかわいい祖母は「あんたの気持ちもわかるけど、それだけはやったらあかん!すぐ帰るから待ってて」と私をとめました。


今思えば、あの時通報していれば、たくさんの人に迷惑をかけず、被害はここまで大きくならずに済んだとおもいます。



私は、そんな異常な父に対して、最初こそ驚き、悲しみ、動揺していましたが、
段々と、血まみれになって不気味な笑みを浮かべる父と、泣き叫ぶことしかできない母をみて、


「くだらない。」という感情だけを思うようになっていきました。


無、です。



毎日毎朝、今日は何が起こるんだろうとおびえ、心臓がきゅーっとなる生活を強いられていた私にとっては、いちいちこちらも泣いたりしていては、こちらもおかしくなってしまいそうなレベルまでになっていました。

だから、自らの感情を抑えこみ、
自分を傷つける父を、「痛いじゃんそんなことしたら。」と、
終盤はただ淡々と介抱していた記憶があります。


ある時は、居間でうたた寝してしまった私に腹を立てた父が、
自分を切りつけた血を私の頭の上に垂らして、起こしてきたこともありました。


私は、父の生暖かい血がおでこについた感覚で目を覚まし、
ただ「すみません」と一言いい、驚くこともなく、血をぬぐい、淡々としていた記憶があります



私自身も、精神が崩壊していたんだと思います。