こんにちは😌
前回の記事にアクセスしてくださった方々、
ありがとうございます🌻
皆さんは 自己不在 という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
私は実家を出る数ヶ月前にこの言葉を知りました。
そして、自分が重度の自己不在者であることに気付いたのです。
では、なぜ私は自己不在になってしまったのか?
今日は、そのことについて書いていこうと思います。
(出来事を細かく書いていきたいので、かなり長くなってしまうと思いますが、よかったら最後までお付き合いくださいませ😌)
まず、どうして自分が自己不在になってしまったのか?
そして、そんな空っぽの自分は今何に支配され、いろんなことを選択したりしているんだろうか?
これを突き詰めていくと私の場合は
記憶を遡り、5歳の頃の自分にたどり着きました。
それはちょうど両親が離婚した時のことです。
当時、両親の離婚が成立するまでには何年という月日がかかっていました。
理由は色々あったと思いますが、一番の要因は
父が私と離れたくないと強く願っていたから。
やがて離婚が成立し、5歳の私は母と一緒に家族3人で住んでいた家を出ていくことになりました。
私は究極のパパっ子と言えるほど父のことが大好きでしたから、父と離れて暮らすということに対し、胸が張り裂けそうになる思いで母に付いて行きました。
それでも毎週末は父親と一緒に過ごし、
母からの提案で父娘で交換日記などをしたり、
コミュニケーションはしっかり取れていたので
ものすごい寂しさを感じることは少なかったです。
なにより、父からの私に対する愛情をとても感じていたので、このままずっと毎週のように父と会えるのならなんとか大丈夫そう、と恐らくそんな風に思っていました。
しかし、離婚して数ヶ月たった頃、
いつものように父と約束した時間に公園で1人で待っていても父が来ません。
3時間たっても父は現れなくて
遂に待ちくたびれた私は泣きながら自宅に帰る。
そんなことが数回続いたころ、
遂に母親が痺れを切らし父に大激怒!
突き詰めたところ、どうやら女ができたらしい。。。
けれど母はそのことは私に伏せて、パパは仕事が忙しかったみたいだとか、そんなような嘘で誤魔化していてくれました。
けれども、その後も約束の時間に公園に現れないだけではなく父の行動が怪しくなっていったようで、またも母が大激怒!!
母が父に問い詰めると、事態は思ったより酷く、父は女を作ったどころではなくその女を妊娠させてしまっていたことが発覚しました。
当時父は30手前。
その年にしてはまわりの同世代よりも稼いでいたし、1人で居られるようなタイプではなかったのですごく寂しかったのでしょうね。
その寂しさを紛らわすために女遊びを始めてしまったわけです。
そして私の母には、
『どこの馬の骨かわからないような女だから、絶対に子供はおろしてもらう。再婚はしない。』
そう言ったらしいです。
離婚が成立した時、母は父に
再婚して幸せになってほしい。
けれど、娘に胸を張って紹介できないような人や娘が納得しないような人とは絶対に再婚しないでほしい。
そして再婚するなら、せめて娘が成人してからにしてほしい。
そう伝えていたようです。
そしてまた父も、絶対に再婚はしない!!
と、言っていたらしいです。
そんなやり取りがあった事もあり、母はもう大激怒どころではなくなっていたと思います。
ところが、何がどうなってしまったのか?
父はその女と何故か再婚する流れになってしまったのです。
どうやら、その女が絶対に父との子供を産みたいと譲らなかったとかなんだとか。
耐えかねた母は、なんと父とその女を呼び出し
私を含めた4人で話し合いをすることになったのです。
あの日のことは今でも忘れもしません。。。
6歳になった私でも状況は理解できていたのですが、何をどうしていいのかわからない。
とにかく、母と相手の女が話している内容に追い付くことに精一杯で、父親が誰か女の人と一緒になる(再婚する)なんて絶対に嫌だ、という言葉を発することさえままなりませんでした。
ただ相手の女性が素晴らしく素敵な人で
父が絶対に幸せになれると思えたならそれでよかったかもしれない。
けれど母が女に
『貴女は、この子の父親と結婚するんだよ。
だからこれまで通り月一回は必ず会わせるし、父娘の関係は今までと変わらずにやらせてもらう。』
と言ったことに対し
女は『どうぞご勝手に』
そう言い放ちました。
あの時の私は、私と父の関係をそんな言葉で片付けようとした彼女に対して、怒りのような哀しさのような感情と、とにかく大きな不信感を抱きました。
あぁ、父はこういう女の人を選んだんだ。
私と過ごす週末より、この女の人を選んだんだ。
あんなに子煩悩で私を可愛がってくれた父が
あんなにも私と離れたくないと言って離婚を受け入れなかった父が
自分ではなくあの女の人を選んだという事に
人生ではじめて絶望というものを味わいました。
それからは父親と会う機会がぐんと減り、
会っても何か父親に対する不安を抱えたまま一緒の時間を過ごし、かつての純粋なパパに会えるという喜びや充実感は薄れていったのを覚えています。
多分、両親が離婚した事に対するショックはこの時実感したのだと思います。
ふと、道で見知らぬ人が家族3人仲睦まじく歩く姿を見ると涙が溢れてきたり、後妻との間に娘が生まれたことも知っていたので、
あぁ、その子はこうやってこれから長い時間パパと一緒に居られるんだなぁ、と想像しては胸が苦しくなる日々でした。
私だけのパパだったのに、今はもう誰かの旦那さんで誰かのパパなんだ、、、と。
一人っ子だったので余計にそう思ったんだと思います。
何度、何があってもパパはりかこのパパに変わりはない。と言われても
会いたいときに会えるわけでもないし、約束しても後妻に邪魔されてばっくれられる…
私、悪い子だったのかな?
何かパパにしちゃったのかな?
だからパパはもう私のこと嫌いなっちゃったのかな?
そんな事も沢山考えました。
パパはもう私を優先してくれるわけじゃない。
私はもうパパの1番じゃなくなった。。。
それからというもの、いつしか
私はパパに捨てられたんだ
そう思うようになっていました。
それと同時に
私がこれから生きていくためには絶対にママだけには捨てられてはいけない。
何があってもママだけには捨てられてはいけない。
そう思って必死に母親にしがみつく生活が始まったのです。
もしかしたら自分が悪い子だったから、だから嫌われて父に捨てられてしまったのかもしれない。
そう思っていた私は母にだけは絶対に嫌われてはいけない。
そう思うようになっていました。
そしてやはり母も、父が再婚した事によって何かが崩れたかのようにどんどん精神が不安定になっていきました。
きっと私たち親子の結束力みたいなものはこの時作られたんだと思います。
私が、もう母しかいない。と思ったのと同時に
もう誰にも何も頼れなくなった母は
私にはこの子しかいない。そう思ったんじゃないかと思います。
だから私たち親子はもう、世界にお互いしかいないんだ、というくらいに互いに抱き合うような形になっていったのだと感じます。
とにかく私は、思う通りにいかないとすぐにヒステリックを起こす母を見たくなくて、なるべく母が怒らないようにと顔色を伺って生活するようになりました。
そしてまさにこの時、私の自己不在への道が作られてしまったわけです。
②へ続く…