中学も同じ感じで
できる姉、できない妹として比較されてきた。
進学塾にも行っていた。

母の性格は、誰かに相談しないと決められないタイプ。
これどう思うー?この大学、悪くないやんなー?
こっちの大学とこの私学やったらどっち行く?
そんなことは母親の母にあたるおばあちゃんにいつも相談していた。
困りごとも、喧嘩した時もすぐそこに駆け込んで
私との喧嘩で言い返されて泣きながら駆け込んでた時もあった。

親が昔から言う言葉を投げかける。
○ね、きしょい、消えろ、
だんだん言葉の種類も酷さもアップしていき、
必ず親も言い返す。同じかそれ以上の酷い言葉を。
挙げ句の果てに
あんたなんか生まんかったらよかった。
2階から飛び降りて○ね
車に轢かれたらいいのに。
も言われるようになった。

一度言うとストッパーみたいなのが外れるのか、それ以降の喧嘩は聞き慣れるレベル。

中学も高校も、喧嘩して学校で愚痴ることも多かった。

クラス替えがあると、
「あんた〇〇組(擁護教育のクラス)じゃなくてよかったな」
と言われることも。
頭おかしいから知的障害者とも言われたことある。

え?え?と思いながらも、そんな差別的発言はよくあった。
ほんまにクズみたいな、酷い親やなぁー。笑

高校までは姉と一緒。
結構比較はされてきたけど、それなりに勉強も頑張っていた。
派手なギャル系女子にに憧れていたこともあり、
親とは全く持って趣味も好みも違った。
買ってくる服はほぼ興味なかった。
あんまり買ってもらうこともなかったけど。

そう。小さい頃から新しいものとか、キャラクターの文房具とか買ってもらうことはなかった。

もったいないが母のセリフ。

人が新しいもの買ってくるの羨ましかった。
母のお古や昔使ってた鞄や何やらを使ってたけど、明らか古いキャラクターとか黄ばんだ色とか恥ずかしかった。
プリンセスだって一つも見たことなかった。
アリエルも白雪姫もアリスも話ちゃんと知ったのは娘が生まれて物心ついてから。
いつも貰い物とかお下がりばかりを使っていて、みすぼらしかった。

少しずつ、自分のお年玉や誕生日のお金で
欲しいものを買ったりするようになった。

思い出したけど、自転車も買ってもらえなかった。
中学の頃、たったの一駅の塾まで電車で通っていた。
自転車は危ないからって、おばあちゃんに言われたのか?いつの時代の話かわからんけど
信頼する人に言われたことは鵜呑みにして全て受け入れて従うような親だった。
自転車ないのは結構キツかったし、
小学校でも遊ぶ時みんな乗ってくるのに、私だけ友達の後ろに乗せてもらってた。