出戻り大いに期待して本日、面接。

事務長さんだけと面接。

「前は何で辞めたんだったっけ?」
「あー、訪問看護の管理職できてくれ言われとるところがあるとかって聞いたわ」

………

とうに忘れていた。

退職のきっかけは5歳くらい上の准看護師さんの攻撃だった。
確かにその頃、訪問看護の管理職の話はきた。
が、これは立ち消えになったから忘れていた。

可笑しいもので、自分より事務長さんの方がよく覚えていた。

私の中では当時45歳で自分の上の人が変わり少しづつ業務量が増えていき、恐ろしくなっていたこともあった。
これも事務長さんが思い出させてくれた。
『このまま、看護師だけでいいのか?』
『こうして、鬱々としながら看護師だけで人生終わっていいのか?』
『とてもいい条件でいいサラリーで働かせてもらってる。』
『この高給を捨てていいのか?』
と自問自答したことを思いだす。
結局、夜喫茶みたいなことをしてみたくて人生一度きり!とばかりに退職したのだった。

お店ができたことは人生の宝となったから後悔はしていない。
あの頃の人生が勝手に動いていく感覚は、今思い出してもワクワクする。


私はいつも雇い先には迷惑にならないように少なくとも6ヶ月前から退職を考えていることを表出してきた。
職員不足になり、希望した時期に退職できない時は延長もしてきた。
退職する時は直属の上司はそれを知っているから、揉めた記憶はない。
逆に『延ばしてもらってありがとう』と言われてきた。
が、今回、始めてその延ばし延ばしにして時期を選んで退職となったことを事務長さんまでは話がいってなかったと知った。
または話しが行っていても気に止めていなかったか…定かではないが、どうやら人手不足の中、自分勝手な時期に辞めたと思われているふしがあった。

これはなかなかにショックであった。

私は不覚にも再就職を甘くみていた。
人が足らないと聞いていたから、給与が叩かれることはあっても仕方ないな…くらいにしか思っていなかった。

尊敬する年下の素敵な師長さんとまた働きたかったけれど、病棟の求人は見せかけらしかった。
今回、面接したのは病棟以外でもよければ…という条件だったようだ。
病棟以外でも家からも近いからいいとは思っていたが、履歴書にはバカ正直に『◯師長さんの元で働きたいと強く思い志望しました』と書いた。

悲しいことにすごすごとあしらわれるように退散となった。
お互いの思いは違えど、時間を取ってくれたことに感謝の意を示して帰途についた。


給与にこだわらなければ、恐らく就職先はあると思う。
看護師はとかく高給と思われることが多いが、夜勤をしなければ給与は多くない。

これまでが恵まれ過ぎていたのだ。

自分の愚かさを笑い飛ばすしかないのだ。

今回のことで、自分の価値も分かった。

いいこともあった。

また、考えられる。

今は頭がグルグル状態🌀


運命は必然というから、この苦しい就職活動もあとから振り返れば、良かったということになるのだろうか?