親元を離れたのは15歳の時。
高校から寮生活で
親と語り合ったことなどない。
自分で決めて自分で解決する。
それが私の流儀になった。
それは自然な流れだったと思う。
誰にも助けてもらえないし
同世代の子に相談しても
答えは出ないことが多い。
なので、何でも自分で決めてきた。
親には事後報告ばかりだった。
寂しい思いもさせただろうし
涙を流されたこともあった。
でも私にはその涙の理由が分からない。
早くに手放したのはそっちでしょ?って思ってたから。
時は流れ、
私も社会人〇〇年となり
親にこそなっていないけど
親の気持ちもわかるようになった。
ここ数年は、
親子らしい語り合いをするようになった。
祖父母のこと。
高校から寮に入れた理由。
それも間違いだったかもしれないと
親が後悔を持ち続けていること。
いろんな話を親から聞いて
やっと両親とのわだかまりがなくなったように思う。
っで、語り合った中で最も鮮明に覚えているのは
「生命維持装置つける?」
「蘇生の有無」についてだった。
両親ともに、
「不要」だそうだ。
一筆書いてもらっておこうと思う。
私が看取ることになるだろうから
周りへの説明が必要になる。
そうなった時のために
両親には頭がクリアなうちに
一筆書いてもらっておこうと思う。
まさかって坂はない。
いつ何時、そうなるかなんて誰にも分からない。
これからはもっともっと
語り合っていこうと思っている。
数十年の親子の穴を埋めるために。
少しずつ少しずつ、語り合っていきたい。