ちいさな骨箱と、あの日の土くれ | 池田独の独り語り

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時々、文章なんかも書きます。しばしのお付き合いを・・・

今日はいつもに比べると、ちょっとかための話かもしれません。が、肩のこる話ではないですよ。

 

今日、父を納骨してきたのですが、今回理由があって納骨堂を変えることになりまして。そのため、めったに見ることのなかった祖父母と、父の妹の骨箱をいったん自宅に持ち帰ることに。

 

父の妹、私たちにとってはおばになる訳ですが、この方はわずか一歳という幼さで亡くなっていまして、当然、その顔を知ることもなかった人なのです。そのため、とても小さな骨箱で、喉仏(正確には喉頭隆起)を収める小さなほうの骨箱と同じくらいの木箱です。

 

納骨堂に収める前に、ちょっと開けてみようか、ということになり、そっと開けてみんなで見てみました。

 

小さな骨のかけらが入っていました。両掌に乗ってしまう、そんな小箱にほんの少しの骨の欠片。

 

祖父母は、どんな思いでこの骨を拾ったのだろうと思うと、そういう経験をしないでここまで来ることができた自分の人生が、それだけでもよかったとちょっと思ってしまいました。

 

それと同時に思い出したのが、母方の祖父。母方の祖父も幼い娘を二人、病気で亡くしているのですが、田舎の事だったというのもあり、土葬だったらしいです。私が中学生の時、お墓を建て直したのですが、すでに遺体は土に還ってしまっていて「そういう時は埋葬したところの土を収める」ということで、祖父がそこの土を掘ったのです。

 

その時の祖父の顔が、なんともいえなかったんですよね。埋葬した時の姿を思い出しているのかな、と当時の私は感じましたが、あの日のままの姿で、子供たちがそこに眠っているというかのように、もくもくと墓地の一角を掘る姿、忘れられないんですよ。

 

昔は、たくさんの小さな子供が、今では考えられないような理由で亡くなったりしたのでしょうね。

父を亡くしたことは確かに辛いことでしたが、父はこうして90近くまで元気で生きて私達子供に看取られた訳で、その自然の摂理である順番をまっとうしたのだな、と考えれば、それはいいことなのではないかなと。

 

母方の祖父が掘った土は、白い布にくるまれて壺に収められて納骨されました。

 

たとえあんな小さな骨でなくても、子供の骨を拾うなんて私は経験したくないです。多少順番を逆にしても、省いてもいいことは世の中に沢山あるかもしれません。でも、この「親より先に子供が逝く」という逆の順番は、そうならずに守られてほしいこと、と思います。