待っている | 池田独の独り語り

池田独の独り語り

池田独のひとりごとと、小説のブログです。

漫画、小説、ぼそぼそマイペースに呟きます。

時々、文章なんかも書きます。しばしのお付き合いを・・・

こんにちは、と私に話しかけたものがいた。
随分久しぶりだったので、私はすぐに言葉が出なかった。
そいつはどうしてこんなところまでやってきて、私になんて声を掛けたのか。
とても長いこと、私に会いに来るものはなかったし、私もここでこうしているのが一体いつ頃からで、そもそも何故こんなところで一人でいるのか、もう覚えていなかった。
もう覚えていないということは、かなり前からこうしてここにいる、ということか。
私がそうして考えていると、そいつは私の前で座った。
ねえ、貴方はだあれ?と、そいつは訊いた。
私?私は・・・答えようとして私は言葉に詰まった。
私は誰だ?長いことこうしてこんなところに一人でいたら、自分が何者かさえわからなくなってしまった。
そいつは私に顔を近づけて、私の顔を覗き込んだ。
なんだってそんなところにいるんです?遠慮無くそいつは二つ目の質問をしてきた。
さあ、どうして?私にもわからない。こうして湿った土の匂いの中で、一体いつからここにいたのか。
何かが私の中をうごめいている。胸騒ぎか?ああきっとそうだ。私は動揺している。
湿った木や木の葉が朽ちていく香りが辺りに満ちている。雨上がりらしく、蒸発していく水分の放つぬめりのようなものが空気中に拡散している。
そいつは私に顔を近づけてきた。うっと私は思ったが、向こうは当然と言った顔で私の顔を覗き込んだ。
人を呼びましょうか?とそいつは言った。私は話す言葉もないままにそこにいたのだが、奴はくるりとこちらへ背を向けてばう!と大きく吠えた。誰かを呼んだようだ。
 「どうしたの、パル。急に森に入っていくから・・・」
現れたのはまだ若い女性だった。たぶん、こいつの飼い主だろう。
パルと呼ばれた小型犬は、振り切って逃げたらしいリードを女性に引かれながら、去っていった。
ほら、ここにいるでしょう?この人だれなの?奴はそう叫んでいたが、彼女にはわからないようだった。
だんだんと遠ざかっていく犬の声に、私はほっとしたような寂しいような、複雑な気持ちだった。
私に気付いてくれたものは、そういない。
だからこうして何年も、私自身もわからなくなるほどここにいるのだ。

遠くに人の声を聞くことはあっても、どういう訳か森の中までは近づく者は少ない。
冬が何度も訪れて、周りのすべてを白く包み込んでも私はここにいた。
冬は夏以上に静かだった。静かで、とても長かった。
風に雨に、雪に晒されて私はすっかりこの森の一部になっていた。
それもいいかもしれない。
今の私には何もない。
何かへの執着。誰かへの嫉妬。上手く進めない苦しみ。かつての私はそれで出来ていた。
今はそういった、忌々しい血や肉は消え失せて私はすっかり身軽になった。
そういったものが抜けていくと、きっと誰もがこうなるのだろう。最後の一つを脱いで、私はもっと透明に、そして軽くなりたい。そう思っていた。

黒ずんだ、苔と朽ち葉にまみれた私に、誰が気付くだろう。
ここで人知れずに逝った私を、私が忘れてしまったら、もう誰一人として思い出す事はない。
それでよかったはずなのに、私はここで誰かを待っている。ずっと。
この世に終わりがあるならば、きっとそれまで、私は待っている。
誰を待つのか、分かるまで。