ヌシのいる河その五十八 | 池田独の独り語り

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池田独のひとりごとと、小説のブログです。

漫画、小説、ぼそぼそマイペースに呟きます。

時々、文章なんかも書きます。しばしのお付き合いを・・・

昔と違って、今はいい薬もあるんだ。あるんだけど、それが効果ない場合もある。
俺の場合は、進行の遅い慢性のもので、しかも早くに見つかったから、それだけ治療も早く始められた。まずは薬を飲んで、それで効果がなければ骨髄移植だ。
いくら薬を服用するだけだと言っても、副作用もある。結構辛かったよ。脊椎穿刺もあるし。ああ、背骨に針を射すんだ。検査のためにね。
辛くて、仕事も休まなくてはならなくて、結局仕事もやめてしまった。
自分は死ぬかもしれない、そう考えると、本当に怖くて眠ることもできなくなった。
まだそれ程、自覚するほどの症状は出ていないうちに見つかったから尚更なのかもしれないけれど。
何かやり残したことはないか、今何が自分は一番したいのか、何が今の自分には出来るのか、そう考えていると一番最初に頭に浮かんだのは「タイムカプセル」だった。
あのマンションを出た時、大したものは持ち出せなかったんだけど、あれはちゃんと持っていたんだ。
そして、ずっと持っていた。
もう忘れてしまおう、と思っていたけれど、結局捨てることが出来なかった。
持っていれば、いつまでも四人で同じ思い出を持っていられるような気がしていたんだ。
勿論、中は見ていないよ。約束だったからね。
やっぱりこれを風太達に渡そう。そう思った。
直接、送ろうかと最初は考えた。
でも、なにを今更と思われたりしないだろうか。
そんな時、入院したりして世話になっている保険屋さんが、万博でこんなイベントをやるんですよ、と教えてくれた。
正直、企画を聞いて坂城病院のカルテの件を思い出したよ。
でも届けるのは十年後。その頃俺は生きているだろうか。
それより三人は今でも仲がいいのだろうか。悩んだよ。でも、結局現実がどうであれ、送ったほうがいい、と思ったんだ。受け取る頃、俺はもういないかもしれない。三人はもうただの他人かもしれない。だったら、忘れてもらっても構わない。だけど、これが自分の手元に残っても、処分に困るだけだろう。そう考えて、あの手紙を書いた。そして、保険屋に託したんだ。
そのあと、結局俺は骨髄移植を受けた。すごく運が良かった。すぐに提供者が見つかったからね。
でも、移植の後のガンの発症の可能性もあったから、退院してからも不安で一杯だったんだけど、せっかく拾った命だし、何をしようか、と考えていた時に、ヤルセ島の同級生だった奴と偶然再会してね。そいつがうWEBデザインの会社を立ち上げたって言うんだ。あの頃はまだ、そんな商売やっている奴なんてあまりいなかったから、俺はなんだかよく分からないな、と思ったんだよ最初はね。しかもマンションの一室で、事務所兼自宅だから、そこで寝起きしているって言うんだよ。で、よければそこで手伝わないかって言われたんだ。
まあ、給料は殆ど無いけど、寝るところとご飯だけは出たからさ、俺自体はデザインなんて分からないから、経理の方を見よう見まねでやっていた。
その間にも、実はガンが見つかって入院したりしたんだけど、あいつは面倒見が良くて、そのたびに待っていてくれた。ん、そうだな、少し風太に似てるかも、そいつ。
そこである時ふと、思い出したんだ。あの時のタイムカプセルの作文を。
俺の将来の夢を。
何気なく話したら、その同級生がHP立ち上げて書いてみれば?って言ってくれたんだ。
そこで俺は随分遅れたけど、子供の頃からの夢に向かって歩き始めたんだ。