その夜、亜希子と風太に引き止められて巳築はそのまま佐伯家に泊まった。
「風太のお父さんと朝飯一緒に食ったの何年ぶりかなあ」
眠そうな目をこすりながら、助手席で巳築が笑った。
「昔はよく晩飯一緒に食ってたよなー」
風太は昨日の酒を多少は引きずっているらしいが、それでもハンドルを握っていた。
「母さんが今でもよく言うんだ、佐伯さんには感謝しないとって」
午前10時を回って、今日も日差しは強い。土曜日の朝はいたって平和だ。
夕べ巳築が言っていた人物に、今日は会うことになっていた。
その人に会うのは、しのぶ達も久しぶりだった。
市内を北側に走り、住宅街の中程にある中学校がその人との待ち合わせ場所だった。
校庭では野球部が練習中で、盛んになにか声を上げているのが響いていた。
だいたい何処も学校って同じだよなあ、と風太が校門を入った辺りに車を停めてから呟いた。
「加賀隆って覚えてる?」
ゆうべ巳築が言った名前には覚えがあった。
加賀隆は中学校の教師で、奏の担任であり、サッカー部の顧問でもあった。
当時はまだ20代の後半になろうかという頃で、奏と同じ部活だった巳築も気心知れた教師だった。
「加賀が何か知ってるって?」
明日会うことになってる、と巳築はピスタチオを剥きながら答えた。
「・・・どういうことだよ巳築」
風太は眉根を寄せていた。
「どうって、先生は何か知っているはずさ。考えてみて。いくら逃げるためだったとしても、奏の両親がこれから高校に入学する息子の進学について考えないはずはないんだ」
それもそうだ。
だとしたら、多分逃げてもどこかの高校に入学させたはず。そしてその時、願書が必ず必要だ。
「先生にだけは相談していたってことなの?」
そうとしか考えられない。と巳築は言った。
あの時・・・奏に連絡がつかなかったとき、しのぶたちは彼に何か知らないかと何度も聞いた。
加賀は知らないと言ったが、本当は何か事情を知っていたのかもしれない。
「今の時点では、一体いつ頃奏一家が逃げることを考えたのかは分からない。でも、急に他の学校に入学なんて、簡単にはできないだろうし、いずれにしてもその為の書類が必要だ」
そしてそれを作る事が出来るのは、担任の加賀しかいなかったはずだ。
巳築の言葉は確信に満ちていた。加賀がどこまで真実を知らされていたかは分からないが、それなりの説明を聞いたはずだ。
「明日、俺も一緒にいっていいか?」
と風太がまた焼酎をグラスに注いだ。
「私も行く。いいよね?」
しのぶも決心した。もう一度、自分は奏を探す。今、あの頃は分からなかった事が少しづつだが道が開けてきたのだ。
そうしないと、奏はあの最後に会ったあの冬の日から出られない。暖かい日差しの射す春を知らないまま。眩しく光に満ちた夏の熱気さえ知らずに。早くここへ連れてきてあげなくては。何時までも寒いあの日のままでいてはかわいそうだ。
風太は学校の玄関にあるインターホンのボタンを押し、面会の要件を伝えた。どうぞ二階に上がってすぐが職員室です、と返事があってドアがういん、と唸った。鍵があいたのだ。
「なんかすごいね、今どこの学校もこんなふうになっているの?」
しのぶは何かの観光に来たようにあちこち見回しながら、正面玄関へと入った。
「物騒な事件ばっかだからな」
入ってすぐ左手に、来客用ロッカーがあった。いかにも、といった業務用の靴用のロッカーがなんとなく懐かしく感じる。
それぞれそこに靴を入れて、そこに入っていた茶色のビニールスリッパを履いた。ぱたぱたとうるさい音を立てながら、三人は言われたとおりに二階へ上がっていった。
休日の校舎は静かで、部活で登校している生徒達の大半は校庭と体育館へと行っているらしく、叫び声や歓声が遠くから響いて聞こえていた。
階段を上がり切る頃に、職員室の入り口が見えて、その前に白髪頭の懐かしい顔が立って待っていた。
「おお、来たか!」
彼は嬉しそうに声を上げた。
加賀隆だった。