Palacio2021の備忘録

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街歩きが大好きです。残しておきたいな、後からも読みたいな、と思ったものを載せています。

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旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【や~ろ】

 

1.柳町(やなぎまち)⇒一番町一丁目、片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

2.柳町通(やなぎまちどおり)⇒一番町一丁目、中央一・四丁目(昭和45年2月1日住居表示)、榴岡一丁目(昭和63年7月4日住居表示)

3.弓ノ町(ゆみのまち)⇒弓ノ町(住居表示不実施)

4.澱町(よどみまち)⇒角五郎一丁目(昭和42年11月1日住居表示)、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)

5.良覚院丁(りょうがくいんちょう)⇒一番町二丁目、大町一・二丁目、片平一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

6.連坊小路(れんぼうこうじ)⇒五橋三丁目、新寺三・四丁目、連坊一・二丁目、二軒茶屋(昭和57年7月5日住居表示)、木ノ下一丁目(昭和50年5月1日住居表示)

7.六軒丁(ろくけんちょう)⇒錦町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

8.六十人町(ろくじゅうにんまち)⇒六十人町(住居表示不実施)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)34頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

旧城下の町名(住居表示直前の町名)一覧 【ま~も】

 

1.神子町(みこまち)⇒木町、通町一丁目(昭和43年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載では「カ」の欄に記載

2.南石切町(みなみいしきりまち)⇒南石切町(住居表示不実施)

3.南鍛冶町(みなみかじまち)⇒南鍛冶町(住居表示不実施)

4.南材木町(みなみざいもくちょう)⇒南材木町(住居表示不実施)

5.南染師町(みなみそめしまち)⇒文化町(昭和42年2月1日住居表示)

6.南町(みなみまち)⇒一番町一~三丁目、大町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

7.南町通(みなみまちどおり)⇒一番町一・二丁目、中央一・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)、榴岡二・三丁目(昭和63年7月4日住居表示)

8.南六軒丁(みなみろっけんちょう)⇒五橋二丁目、片平二丁目、土樋一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

9.宮町(みやまち)⇒宮町二~四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

10.茂市ケ坂(もいちがさか)⇒花京院一丁目、本町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

11.本荒町(もとあらまち)⇒一番町一・二丁目、大町一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

12.元鍛冶町(もとかじまち)⇒国分町二丁目、立町(昭和45年2月1日住居表示)

  ※元鍛冶丁が一般的

13.元柳町(もとやなぎまち)⇒大町二丁目、桜ケ岡公園、立町(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「本柳町」

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)34頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【は~ほ】

 

1.支倉通(はせくらどおり)⇒柏木三丁目、支倉町、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)、北山一丁目、木町、新坂通(昭和43年2月1日住居表示)

2.支倉町(はせくらまち)⇒支倉町、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)

3.八軒小路(はちけんこうじ)⇒八軒小路(住居表示不実施)

4.八幡町(はちまんまち)⇒八幡一~五丁目(昭和42年11月1日住居表示)

5.半子町(はんこまち)⇒国見一・二丁目、子平町、八幡二丁目(昭和42年11月1日住居表示)

6.東一番丁(ひがし1ばんちょう)⇒一番町一~四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

7.東二番丁(ひがし2ばんちょう)⇒一番町一~四丁目、五橋一・二丁目、北目町、中央二~四丁目、本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

≪仙台三越の定禅寺通り館になっている141ビル。一番町四丁目1番という住所から141と命名したそうですが、昭和45年の住居表示までは、東一番丁、東二番丁、定禅寺通の3つの町名がこの土地にあったとのこと。建物の入り口が面している通り名を住所にしていた、ということなのでしょう。≫

 

8.東三番丁(ひがし3ばんちょう)⇒五橋一丁目、中央二~四丁目、本町二・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

9.東四番丁(ひがし4ばんちょう)⇒中央二~四丁目、本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

10.東五番丁(ひがし5ばんちょう)⇒中央一~四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

≪仙台駅西口のペデストリアンデッキから見た青葉通り。東五番丁、裏五番丁がこのあたり。青葉通りを西へ歩いていくとやがて広瀬川を渡り、青葉山公園(仙台城址や仙台市博物館、仙台国際センターなど)に入っていきます。≫

 

 

11.東六番丁(ひがし6ばんちょう)⇒花京院一丁目、中央一丁目、宮町一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

12.東七番丁(ひがし7ばんちょう)⇒五橋三丁目、新寺一丁目(昭和57年7月5日住居表示)、中央一丁目(昭和45年2月1日住居表示)、榴岡一・二丁目(昭和63年7月4日住居表示)

13.東八番丁(ひがし8ばんちょう)⇒五橋三丁目、新寺一~三丁目、連坊一丁目(昭和57年7月5日住居表示)、榴岡一~四丁目(昭和63年7月4日住居表示)

14.東九番丁(ひがし9ばんちょう)⇒新寺二・三丁目、連坊一丁目(昭和57年7月5日住居表示)、榴岡一丁目、榴岡三~五丁目(昭和63年7月4日住居表示)

15.東十番丁(ひがし10ばんちょう)⇒榴岡三~五丁目(昭和63年7月4日住居表示)、新寺五丁目、西宮城野(昭和57年7月5日住居表示)、五輪一丁目、宮城野一丁目(昭和40年11月1日住居表示)

16.東新丁(ひがししんちょう)⇒木ノ下五丁目(昭和50年5月1日住居表示)

17.広瀬川橋下(ひろせがわはししも)⇒河原町二丁目(昭和42年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「廣瀬川橋下」

18.琵琶首新丁(びわくびしんちょう)⇒大手町、花壇(昭和45年2月1日住居表示)

19.琵琶首丁(びわくびちょう)⇒大手町、花壇、片平一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

20.袋町(ふくろまち)⇒一番町一丁目、片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

21.二日町(ふつかまち)⇒国分町三丁目、二日町(昭和45年2月1日住居表示)

22.舟丁(ふなちょう)⇒舟丁(住居表示不実施)

  ※大正15年一覧の記載は「船丁」

23.坊主町(ぼうずまち)⇒国見二丁目、八幡二・四丁目(昭和42年11月1日住居表示)

24.保春院前丁(ほしゅんいんまえちょう)⇒保春院前丁(住居表示不実施)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)33-34頁から転記〕

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旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【な~の】

 

1.名掛丁(なかけちょう)⇒中央一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

《アーケードの途中でクリスロード商店街(昔の新伝馬町)からハピナ名掛丁商店街(昔の名掛丁)に変わっています。しかも斜めに。四ッ谷用水という水路が斜めに走っていて、これが町の境目になっていたそうです。》

 

2.中島丁(なかじまちょう)⇒八幡一・三丁目(昭和42年2月1日住居表示)、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)

3.中杉山通(なかすぎやまどおり)⇒上杉三・五丁目、錦町一丁目、本町一丁目(昭和42年2月1日住居表示)

4.仲ノ町(なかのまち)⇒大手町、桜ケ岡公園(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「中ノ町」

5.長丁(ながちょう)⇒現在の錦町一・二丁目付近(昭和45年2月1日住居表示)

  ※住居表示実施時には存在しない町名

6.長刀丁(なぎなたちょう)⇒錦町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

7.成田町(なりたまち)⇒成田町(住居表示不実施)

8.南光院丁(なんこういんちょう)⇒一番町二・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

9.新坂通(にいざかどおり)⇒柏木一~三丁目、星陵町、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)、三条町、新坂町(昭和43年2月1日住居表示)、子平町(昭和42年11月1日住居表示)

10.西新丁(にししんちょう)⇒西新丁(住居表示不実施)

11.二十人町(にじゅうにんまち)⇒二十人町(住居表示不実施)

12.二十人町通(にじゅうにんまちどおり)⇒五輪一丁目(昭和40年11月1日住居表示)

13.二本杉通(にほんすぎどおり)⇒上杉四丁目、錦町二丁目、宮町四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)33頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【た~と】

 

1.滝前丁(たきまえちょう)⇒角五郎二丁目、八幡三・五丁目(昭和42年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「瀧前丁」

2.畳屋丁(たたみやちょう)⇒畳屋丁(住居表示不実施)

  ※大正15年一覧の記載は「畳屋町」

3.立町(たちまち)⇒一番町四丁目、大町二丁目、国分町一・二丁目、立町(昭和45年2月1日住居表示)

4.立町新丁(たちまちしんちょう)⇒桜ケ岡公園(昭和45年2月1日住居表示)

5.立町通(たちまちどおり)⇒一番町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

6.田町(たまち)⇒五橋二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

7.大聖寺裏門通(だいせいじうらもんどおり)⇒本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

8.土樋(つちとい)⇒土樋一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

9.榴ヶ岡(つつじがおか)⇒五輪一丁目(昭和40年11月1日住居表示) 

 

≪菅原道真公の直筆の書が奉納され、杜の都の天神様として親しまれている榴岡天満宮。

道真公といえば学問の神様。たくさんの受験生がお参りしています。

仙台駅から東へ徒歩15分くらいで到着します。≫

 

10.堤通(つつみどおり)⇒上杉一・二丁目、昭和町、堤通雨宮町(昭和45年2月1日住居表示)、通町二丁目(昭和43年2月1日住居表示)

11.堤町(つつみまち)⇒堤町一・二丁目(昭和53年7月3日住居表示)

12.角五郎新丁(つのごろうしんちょう)⇒角五郎二丁目(昭和42年11月1日)

13.角五郎丁(つのごろうちょう)⇒角五郎一・二丁目、八幡三丁目(昭和42年11月1日住居表示)

14.鉄砲町(てっぽうまち)⇒小田原二丁目(昭和46年5月1日住居表示)

15.鉄砲横丁(てっぽうよこちょう)⇒片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

16.桃源院東(とうげんいんひがし)⇒河原町二丁目(昭和42年2月1日住居表示)

17.通町(とおりちょう)⇒青葉町、北山一丁目、通町一・二丁目、葉山町(昭和43年2月1日住居表示)、柏木一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「通丁」

18.通町北裏(とおりちょうきたうら)⇒青葉町、葉山町(昭和43年2月1日住居表示)、堤町二丁目(昭和53年7月3日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「通一北裏囲」

19.常盤丁(ときわちょう)⇒春日町、桜ケ岡公園、支倉町(昭和45年2月1日住居表示)

20.同心町仲丁(どうしんまちなかちょう)⇒本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

21.同心町通(どうしんまちどおり)⇒上杉三丁目、錦町一丁目、本町一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

22.道場小路(どうじょうこうじ)⇒一番町一丁目、片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

23.堰場(どうば)⇒堰場(住居表示不実施)

  ※大正15年一覧では「セ」の欄に記載

24.土橋通(どばしどおり)⇒柏木二丁目、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)、八幡一・二丁目(昭和42年2月1日住居表示)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)32-33頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【さ~そ】

 

1.肴町(さかなまち)⇒大町二丁目、国分町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

2.桜小路(さくらこうじ)⇒片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

3.山上清水(さんじょうしみず)⇒国見三丁目、八幡五丁目(昭和42年11月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載では「ヤ」欄に記載

4.三百人町(さんびゃくにんまち)⇒三百人町(住居表示不実施)

5.七軒丁(しちけんちょう)⇒片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

6.清水小路(しみずこうじ)⇒五橋一・二丁目、中央一丁目(昭和45年2月1日住居表示)、五橋三丁目、新寺一丁目、中央一丁目(昭和57年7月5日住居表示)

7.新河原町(しんかわらまち)⇒河原町一・二丁目(昭和42年2月1日住居表示)

8.新河原町行人塚(しんかわらまちぎょうにんづか)⇒河原町二丁目(昭和42年2月1日住居表示)

9.新河原町東裏丁(しんかわらまちひがしうらちょう)⇒河原町一丁目(昭和42年2月1日住居表示)

10.新小路(しんこうじ)⇒錦町二丁目、宮町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

11.新寺小路(しんてらこうじ)⇒新寺二~五丁目、二軒茶屋、西宮城野、連坊一・二丁目(昭和57年7月5日住居表示)、榴岡五丁目(昭和63年7月4日住居表示)

12.新伝馬町(しんでんまちょう)⇒中央二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「新傳馬町」。読みは「しんてんまち」が一般的。

13.新名懸丁(しんなかけちょう)⇒花京院二丁目、宮町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

14.新弓ノ町(しんゆみのまち)⇒河原町一丁目(昭和42年2月1日住居表示)

15.十二軒丁(じゅうにけんちょう)⇒八幡一・二丁目(昭和42年2月1日住居表示)、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)

16.定禅寺通(じょうぜんじどおり)⇒一番町四丁目、国分町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「定禪寺通」

 

≪「定禅寺通ストリートJAZZフェスティバルが開かれていた9月の週末。

定禅寺通りは西に進むと広瀬川に突き当たるので、市街地にしては通過車両が割と少ない。

ということで時々車を通行止めにしてお祭り会場になっています≫

 

17.定禅寺通櫓丁(じょうぜんじどおりやぐらちょう)⇒春日町、国分町二・三丁目、立町(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「定禪寺通櫓丁」

18.末無掃部丁(すえなしかもんちょう)⇒花京院一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧では「シ」欄に記載

19.杉山通(すぎやまどおり)⇒上杉四丁目、宮町三・四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)31-32頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【か~こ】

 

1.花京院通(かきょういんどおり)⇒小田原一丁目(昭和46年5月1日住居表示)、花京院一・二丁目、本町一丁目、宮町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

2.覚性院丁(かくせいいんちょう)⇒八幡二丁目(昭和42年11月1日住居表示)

3.片平丁(かたひらちょう)⇒片平一・二丁目、米ケ袋一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

4.片平丁大町頭(かたひらちょうおおまちがしら)⇒大手町、桜ケ岡公園(昭和45年2月1日住居表示)

5.花壇(かだん)⇒花壇(昭和45年2月1日住居表示)

6.花壇川前丁(かだんかわまえちょう)⇒大手町、花壇(昭和45年2月1日住居表示)

7.上杉山通(かみすぎやまどおり)⇒上杉一~三丁目、上杉五丁目(昭和45年2月1日住居表示)

8.上染師町(かみそめしまち)⇒五橋二丁目、片平二丁目、北目町(昭和45年2月1日住居表示)

9.掃部丁(かもんちょう)⇒花京院一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

10.空堀丁(からほりちょう)⇒花京院一・二丁目、錦町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)
11.川内追廻(かわうちおいまわし)⇒川内追廻(住居表示不実施)

12.川内亀岡北裏丁(かわうちかめおかきたうらちょう)⇒川内亀岡北裏丁(住居表示不実施)

13.川内亀岡町(かわうちかめおかちょう)⇒川内亀岡町(住居表示不実施)

14.川内川前丁(かわうちかわまえちょう)⇒川内川前丁(住居表示不実施)

15.川内三十人町(かわうちさんじゅうにんまち)⇒川内三十人町(住居表示不実施)

16.川内新横丁(かわうちしんよこちょう)⇒川内新横丁(住居表示不実施)

17.川内大工町(かわうちだいくまち)⇒川内大工町(住居表示不実施)

18.川内中ノ瀬町(かわうちなかのせまち)⇒川内中ノ瀬町(住居表示不実施)

  ※大正15年一覧の記載は「川内中ノ瀬丁」

19.川内明神横丁(かわうちみょうじんよこちょう)⇒川内明神横丁(住居表示不実施)

20.川内元支倉(かわうちもとはせくら)⇒川内元支倉(住居表示不実施)

21.川内柳町(かわうちやなぎまち)⇒(現在の川内中ノ瀬町付近)

  ※大正15年一覧の記載は「川内柳丁」。川内柳町は現在使われていない。

22.川内山屋敷(かわうちやまやしき)⇒川内山屋敷(住居表示不実施)

23.川内澱橋通(かわうちよどみばしどおり)⇒川内澱橋通(住居表示不実施)

24.河原町(かわらまち)⇒河原町一丁目(昭和42年2月1日住居表示)

25.北一番丁(きたいちばんちょう)⇒春日町、上杉一丁目、上杉三・四丁目、木町通一丁目、国分町三丁目、錦町一・二丁目、支倉町、二日町、本町三丁目、宮町二・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

26.北二番丁(きたにばんちょう)⇒上杉一丁目、上杉三・四丁目、木町通一丁目、支倉町、広瀬町、二日町、宮町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

27.北三番丁(きたさんばんちょう)⇒上杉一丁目、上杉三・四丁目、木町通一丁目、支倉町、広瀬町、二日町宮町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

28.北四番丁(きたよばんちょう)⇒柏木二丁目、上杉一~五丁目、木町通一・二丁目、星陵町、支倉町、広瀬町、二日町、宮町三・四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

29.北五番丁(きたごばんちょう)⇒柏木二丁目、上杉二・五丁目、木町通二丁目、星陵町、宮町四丁目(昭和45年2月1日住居表示)

30.北六番丁(きたろくばんちょう)⇒梅田町、柏木一・二丁目、上杉二丁目、上杉五・六丁目、木町通二丁目、星陵町、堤通雨宮町、宮町四・五丁目(昭和45年2月1日住居表示)、東照宮一・二丁目(昭和47年5月1日住居表示)

31.北七番丁(きたななばんちょう)⇒柏木一・二丁目、上杉六丁目、星陵町、堤通雨宮町(昭和45年2月1日住居表示)

32.北八番丁(きたはちばんちょう)⇒柏木一~三丁目、堤通雨宮町(昭和45年2月1日住居表示)、木町、通町一丁目(昭和43年2月1日住居表示)

33.北九番丁(きたきゅうばんちょう)⇒堤通雨宮町(昭和45年2月1日住居表示)、木町、通町一丁目、新坂町(昭和43年2月1日住居表示)

34.北鍛冶町(きたかじまち)⇒柏木一丁目、木町通二丁目、二日町(昭和45年2月1日住居表示)

35.北五十人町(きたごじゅうにんまち)⇒角五郎二丁目、八幡三丁目(昭和42年11月1日住居表示)

36.北材木町(きたざいもくちょう)⇒春日町、国分町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「北材木丁」
37.北田町(きたたまち)⇒柏木一丁目(昭和45年2月1日住居表示)、通町一・二丁目(昭和43年2月1日住居表示)

38.北目町(きためまち)⇒一番町一丁目、五橋二丁目、北目町、中央一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

39.北目町通(きためまちどおり)⇒一番町一丁目、五橋一丁目、北目町、中央四丁目(昭和45年2月1日住居表示)、榴岡一丁目(昭和63年7月4日住居表示)

40.北山町(きたやままち)⇒青葉町、荒巻神明町、北山一~三丁目、三条町、山手町(昭和43年2月1日住居表示)

41.狐小路(きつねこうじ)⇒一番町一・二丁目、片平一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

42.木ノ下(きのした)⇒木ノ下一~五丁目(昭和50年5月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「木ノ下丁」

43.木町末無(きまちすえなし)⇒桜ケ岡公園、立町(昭和45年2月1日住居表示)

44.木町通(きまちどおり)⇒柏木一丁目、春日町、木町通一・二丁目、星陵町(昭和45年2月1日住居表示)、木町(昭和43年2月1日住居表示)

45.教楽院丁(きょうらくいんちょう)⇒一番町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

46.切通町(きりどおしちょう)⇒八幡一丁目(昭和42年11月1日住居表示)、広瀬町(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「切通丁」

47.行人塚(ぎょうにんづか)⇒河原町二丁目、古城一・二丁目(昭和42年11月1日住居表示)

48.車町(くるままち)⇒車町(住居表示不実施)

49.外記丁(げきちょう)⇒錦町一丁目、本町一・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

50.外記丁通(げきちょうどおり)⇒上杉一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

51.元貞坂(げんていざか)⇒本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

52.光禅寺通(こうぜんじどおり)⇒花京院二丁目、上杉三・四丁目、錦町一・二丁目、本町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「光禪寺通」

53.勾当台通(こうとうだいどおり)⇒上杉一丁目、国分町三丁目、二日町、本町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

54.越路(こえじ)⇒越路、向山三・四丁目(昭和41年5月1日住居表示)

55.越路瑞鳳寺前丁(こえじずいほうじまえちょう)⇒霊屋下、向山一丁目(昭和41年5月1日住居表示)

56.越路路地町(こえじろじちょう)⇒霊屋下、向山一~三丁目(昭和41年5月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「越路路地丁」

57.越路六軒丁(こえじろっけんちょう)⇒向山一丁目(昭和41年5月1日住居表示)

58.穀町(こくちょう)⇒穀町(住居表示不実施)

59.国分町(こくぶんちょう)⇒一番町四丁目、国分町一~三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「國分町」

60.米ケ袋上丁(こめがふくろうわちょう)⇒米ケ袋一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

61.米ケ袋鍛冶屋前丁(こめがふくろかじやまえちょう)⇒米ケ袋一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

62.米ケ袋鹿ノ子清水通(こめがふくろかのこしみずどおり)⇒米ケ袋二丁目、土樋一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「米ケ袋鹿子清水通」

63.米ケ袋下丁(こめがふくろしたちょう)⇒米ケ袋三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

64.米ケ袋十二軒丁(こめがふくろじゅうにけんちょう)⇒米ケ袋一・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

65.米ケ袋中丁(こめがふくろなかちょう)⇒米ケ袋一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

66.米ケ袋中ノ坂通(こめがふくろなかのさかどおり)⇒米ケ袋一~三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

67.米ケ袋広丁(こめがふくろひろちょう)⇒米ケ袋二・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「米ケ袋廣丁」

68.椌木通(ごうらぎどおり)⇒木ノ下四・五丁目(昭和50年5月1日住居表示)

69.五十人町(ごじゅうにんまち)⇒五十人町(住居表示不実施)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)30-31頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています

旧城下の町名(住居表示実施直前の町名)一覧 【あ~お】

 

復活する場合の町名を、本委員会では住居表示直前の町名とし、また、事業効果に鑑み、仙台城下の町割りによって生まれた町名を優先的に対象とすることが望ましいとした。

この資料は、「優先的に対象とする」とした旧城下の範囲における住居表示実施直前の町名の一覧である。

(注)この一覧における旧城下の範囲は、「地番入仙台市全図大正15年度最新版」(以下、大正15年一覧。)の仙台市町名一覧に記載されている町名の範囲としている。/50音順/読みは仙台市が町名管理上使用している読み仮名を参考として記載(町名の文字・読みが一般に使用されている読み方と異なる場合は、脚注に記載)。

 

≪仙台の城下町の町割りの起点(芭蕉の辻)に建つ道標。

仙台城と城下町を結ぶ東西の通りと、江戸から青森まで伸びる奥州街道が

「芭蕉の辻」で交差していました。この場所から2~3分北(青森方向)に歩くと、

歓楽街として名高い国分町があります。≫

 

【あ~お】

1.跡付丁(あとつけちょう)⇒春日町、国分町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※「地番入仙台市全図大正15年度最新版」(以下、大正15年一覧)の記載は「跡附丁」

2.荒町(あらまち)⇒荒町(住居表示不実施)

3.石垣町(いしがきまち)⇒石垣町(住居表示不実施)

4.石切町(いしきりまち)⇒八幡二丁目(昭和42年11月1日住居表示)

5.石名坂(いしなざか)⇒石名坂(住居表示不実施)

6.伊勢堂下(いせどうした)⇒柏木三丁目(昭和45年2月1日住居表示)、子平町(昭和42年11月1日住居表示)

7.伊勢屋横丁(いせやよこちょう)⇒一番町一丁目、片平二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

8.(五ツ橋)(いつつばし)⇒(現在の五橋二丁目付近)(昭和45年2月1日住居表示)

  ※住居表示実施時には存在しない町名

9.裏五番丁(うらごばんちょう)⇒中央一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

10.裏柴田町(うらしばたまち)⇒裏柴田町(住居表示不実施)

11.江戸町(えどちょう)⇒八幡二丁目・四丁目(昭和42年11月1日住居表示)

12.大窪谷地(おおくぼやち)⇒越路、向山一~四丁目(昭和41年5月1日住居表示)

13.大町一丁目(おおまちいっちょうめ)⇒大町二丁目、片平一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

14.大町二丁目(おおまちにちょうめ)⇒大町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

15.大町三丁目(おおまちさんちょうめ)⇒大町一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

16.大町四丁目(おおまちよんちょうめ)⇒一番町三丁目、大町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)
17.大町五丁目(おおまちごちょうめ)⇒一番町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

 

≪仙台城址から広瀬川を越えると、伊達政宗と共に仙台に移り住んだ商人たちの町に入り、その中でも一段と格上の町だったと言われているのが大町五丁目。平日の昼間、しかも冬に撮ったので閑散としてるけど、かつての大町五丁目は「マーブルロードおおまち商店街」として今も栄えています。≫

 

18.大町五丁目新丁(おおまちごちょうめしんちょう)⇒一番町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

19.霊屋下(おたまやした)⇒霊屋下(昭和41年5月1日住居表示)

20.小田原牛小屋丁(おだわらうしごやちょう)⇒小田原二・三・八丁目(昭和46年5月1日住居表示)

21.小田原裏山本丁(おだわらうらやまもとちょう)⇒小田原一・四・五丁目(昭和46年5月1日住居表示)

22.小田原北一番丁通(おだわらきたいちばんちょうどおり)⇒小田原三~八丁目(昭和46年5月1日住居表示)、宮町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

23.小田原北二番丁通(おだわらきたにばんちょうどおり)⇒小田原六丁目(昭和46年5月1日住居表示)、宮町二・三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

24.小田原北三番丁通(おだわらきたさんばんちょうどおり)⇒小田原六丁目、福沢町(昭和46年5月1日住居表示)

25.小田原車通(おだわらくるまどおり)⇒小田原一・五丁目(昭和46年5月1日住居表示)、宮町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

26.小田原金剛院丁(おだわらこんごういんちょう)⇒小田原一・四・七丁目(昭和46年5月1日住居表示)

27.小田原清水沼通(おだわらしみずぬまどおり)⇒小田原一・二丁目(昭和46年5月1日住居表示)

28.小田原袖振丁(おだわらそでふりちょう)⇒宮町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

29.小田原高松通(おだわらたかまつどおり)⇒小田原六・七丁目(昭和46年5月1日住居表示)

30.小田原大行院丁(おだわらだいぎょういんちょう)⇒小田原一丁目(昭和46年5月1日住居表示)

31.小田原長丁通(おだわらながちょうどおり)⇒小田原一~五丁目(昭和46年5月1日住居表示)、宮町一丁目(昭和45年2月1日)

32.小田原東丁(おだわらひがしちょう)⇒小田原一~三丁目、小田原八丁目(昭和46年5月1日住居表示)

33.小田原広丁(おだわらひろちょう)⇒小田原一・四丁目(昭和46年5月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「小田原廣丁」
34.小田原宮町東裏丁(おだわらみやまちひがしうらちょう)⇒小田原五丁目(昭和46年5月1日住居表示)、宮町一・二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「小田原東裏丁」

35.小田原山本丁(おだわらやまもとちょう)⇒小田原一丁目(昭和46年5月1日住居表示)

36.小田原鑓水丁(おだわらやりみずちょう)⇒宮町一丁目(昭和45年2月1日住居表示)

37.小田原弓ノ町(おだわらゆみのまち)⇒小田原一・二丁目(昭和46年5月1日住居表示)

38.大仏前(おぼとけまえ)⇒本町二丁目(昭和45年2月1日住居表示)

  ※大正15年一覧の記載は「大佛前」
39.表小路(おもてこうじ)⇒国分町三丁目(昭和45年2月1日住居表示)

40.表柴田町(おもてしばたまち)⇒表柴田町(住居表示不実施)
 

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)29-30頁から転記〕

※写真とコメントはこのブログで独自に挿入しています。

4. おわりに

 

 「歴史的町名の復活は城下町仙台の個性と魅力を高めていくための有効な手段であり、 その町に暮らす人々が町名の復活を希望する場合には、復活が可能となるような枠組みが用意され、地域の取組みに対する支援も行われることが望ましい。」《7頁参照》

 

 本委員会におけるこの提言は、歴史的町名の復活は決して行政主導で行うものではな く、住民が復活を希望し、主体的に地域の合意を形成していくことにより実現するものであることを示している。

 

 本委員会では、平成 17年に復活した「並木町」(金沢市)、平成 19 年に復活した「銀屋町」(長崎市)、そして調査時点(平成 18 年)では復活に向けた取組みの只中にあった「南町」(金沢市-平成 20 年復活-)において、復活の中心的役割を果した方々からお話を伺う機会を得た。

 

 調査に先立ち、「地域の歴史や伝統を大切にしている金沢や長崎であれば町名復活も当然…」との想いが多少なりとも委員の間にあったことは否定できない。

しかしながら、 話を伺ったすべての町において、旧町名の復活は、その町に暮らす住民の熱意によって 成し遂げられたものであった。

金沢と長崎における旧町名復活が決して「当然」のものではないことを、両市において復活に取組まれた方々への敬意とともに、改めて強調しておきたい。

 

 翻って仙台における歴史的町名の復活を考えるとき、その実現如何は金沢や長崎と同様、仙台のまちに暮らす人々が町名の復活を希望するかどうか、そして、復活に向けた思いが自ら地域の合意を形成していくことを決意するほど強いものかどうかが大きな要素となるものと思われる。

 

 本委員会では、平成20年7月に市内 4 ヶ所で行った意見交換会において、参加された方々から様々なご意見を頂戴した。

復活への賛否を交えた幅広いご意見をいただくなかで、それぞれの発言の背景に、金沢や長崎に勝るとも劣らない自分が暮らす町への強い愛着を感じた。

将来、仙台のどこかで町名復活に向けた歯車が回り始める可能性を、 わずかではあるが感じたところである。

 

 この報告書において、本委員会は復活に関する提言とともに活用策についての提言も行った。

活用策については、仙台市が以前行った「歴史的町名等活用推進事業」におい て提言されているが、本委員会としては、様々な手法において暮らしのなかに歴史的町名を活かしていくことの大切さを強調するとともに、旧城下における通り名と住所との関係を洗いなおすことによって、通り名としての活用が歴史的町名の事実上の復活であるとの思いを強め、活用策にも言及することとしたものである。

 

 100 万都市仙台には、今、多くのオフィスビルや商業ビルあるいは高層マンションが 建ち並び、城下町としての面影はほとんど残されていない。

その一方で、私たちはこの町を「城下町仙台」、「伊達 62 万石」そして、城下町の屋敷林に由来すると言われる「杜の都」という代名詞で表現している。

変化を続ける都市に暮らしながらも、私たちは仙台のアイデンティティを歴史に求めているのである。

 

 本検討委員会の報告が今後、仙台市の各種施策等に反映され、城下町仙台の歴史的町名が住所を含めた様々な形で暮らしのなかに息づいていくこと、そして、仙台という都市空間において、この街への愛着がさらに深まり、私たちの心の置き場所が広がってい くことを期待するものである。

 

 最後になるが、検討中に多大なるご協力をいただいた金沢市及び長崎市の関係者の皆さん、そして市内 4 地区で開催した意見交換会にご参加いただいた地域の方々、さらに、 委員会の運営にご支援とご協力をいただいた全ての方々に、委員一同、心からの感謝を 申し上げたい。

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)18-19頁から転記〕

 

≪仙台城址から望む仙台の旧城下エリア(仙台市街地)

仙台藩祖・伊達政宗の騎馬像はこの場所に立っています≫

≪大きな効果が期待できる活用策≫[活用策の例②]

 

 復活の実現に向けた取組みとして、また、住居表示としての復活に相当する効果を期待しうるものとして、以下の活用策を示すものである。

 

 活用策 実施主体 具体的な取組みのイメージ

 

1.歴史的町名を目にする機会の増加

 

 (1)実施主体: 地域団体

 ・歴史的町名街区表示板の設置

 

 (2)実施主体:行政

 ・公共施設等への歴史的町名街区表示板の設置

 ・バス停等への歴史的町名の表示

 ・公園等への歴史的町名案内板の設置

 

2. 歴史的町名を冠したイベントの開催や歴史的町名関連事業の実施

 

 (1)実施主体: 地域団体 NPO等 商店街等

 ・歴史的町名を冠した祭りの開催

 ・地域の歴史に関するシンポジウム等の開催

 ・歴史的町名に関するガイドツアーの実施

 ・地域の歴史的町名に関する冊子の作成

 ・歴史的町名を巡る散歩道の創出

 ・歴史的町名に因むまちの財産の発掘と PR (例:『まちかど博物館』の開設)

 

3. 歴史的建造物等の保存と利活用

 

 (1)実施主体: NPO 行政

 ・歴史的建造物等を対象とした所有者と利用者の仲介(情報バンクによる空き家・空き店舗の活用) 

 

4.郷土の歴史に関する学校教育や生涯学習での取組み

 

 (1)実施主体:NPO

・ 町歩き、ガイドツアーの実施など

 

 (2)実施主体: 行政 教育機関

 ・郷土の歴史についての副読本等(学校教材)への 記載

 ・市民センターにおける郷土の歴史や歴史的町名に関する事業の展開

 

 【活用策のイメージ】

 

 《写真左上》長崎市内の 「旧町名表示板」 (右側の「東古川町」は 平成 19 年 1 月に復活。 表示板上部の「旧町名」 の文字が消されてい る。」

 

 《右上》金沢市の「こども 金沢市史」

 

 《左下》「柳町」を記した 街路灯(青葉区一番町)

 

 《右下》「新伝馬町」の旧 町名碑(青葉区中央)

 

〔歴史的町名復活検討委員会報告書(平成21年1月)17頁から転記〕