こんばんは



最近、何故か母のことをよく思い出す


このブログを始めた時、毒親ブームで

親を嫌い、私が生き辛いのは親のせいだ

母は毒親だったんだ

だから私も毒親になるのは仕方ない

そう思って、自分を正当化していた


たとえば上司から部下へ

先輩から後輩へ、姑から嫁へ


自分がされて嫌だったことをやらない人

自分もそうだったからこうしろと言う人

同じ人なのに立場や年齢があがると

偉そうになってDVに発展したり

指導という名のいじめをしたり




母は姑と仲が悪かった

母方の祖母は母のことを甘やかして

我儘になったと言っていたから

母も相当なストレスを抱えていたのだろう


その捌け口が私だった

姉達はうまく逃げるので鈍臭い私だけが

ターゲットになっていたのだろう




私が結婚した時のことを思い出していた

両親はダンナのことを気に入らず

いつまでもブツブツ言われていたが

姉達の結婚の時も文句を言っていたから

誰でも気に入らなかったのだろう


当日が朝早かったので、私だけ

式場のホテルに前泊した


前々日に両親にプレゼントをして

挨拶は済ませてあったが

夜になって急に淋しくなって

母に電話した


何を話したのか覚えてはいないが

最後に母からもらった言葉は

『幸せになりなさい』だった


その時はそれほど深く考えてはいなかったが

今思い出すと、母は毒親ではなかったんだと思う


毒親が幸せになりなさいなんて

娘に言うわけがない

私は母に愛されていたんだ


親の躾のせいで生き辛いのかと思って

どうしてこんなふうに育てた、って

ずっと思っていた


でも最近になって発達障害のことを

調べていくうちに殆ど当てはまった

生まれつきだったんだ


だから私と娘とのことも

毒親だからうまくいかないのではなくて

私も娘も同じ障害があって

お互いを理解できないんだ


本当のところはわからない

本を読んでも個人差があったり

グレーゾーンであったり

専門家でも判断が難しいという


母も私も娘も素直ではない

プライドも高いし頑固だ

そんなことが積み重なって

あっちもこっちも毒親と言い出したから

うっかりブームに乗っかってしまった


母が毒親ではないと仮定して色々考えてみたら

一緒に結婚の準備をしてくれて

嫁入り道具の購入や式場のイベント

ドレスや引き出物の相談をしたり

とても熱心にやってくれていた


なんで毒親と思っていたのだろう

幼い頃の私の行動が、その頃には

障害とわからず育てにくい子だったのだろう

実際、学校から呼び出されることはよくあった

母は私のことで姑に怒られていたのかもしれない


娘が産まれて少し大きくなったころ

母にこの子は育てにくいよ、と言われた

実際、娘もよく学校から呼び出された

幼稚園の先生には

偉人はみな変わった子供だったらしいですよ

将来大物になりますね、と言われた

褒めてるのか?


ああ、私もこんなだったんだ


なら私も娘の結婚相手が気に入らなくても

喜んで送り出してあげなくてはならない


母がしてくれたことを私は

娘にしてあげなくてはならないんだ



でも

もう少し母が強く反対してくれれば

もう少し良い人を捕まえられたんじゃないかなぁ


なんてね





最後までお読みいただきありがとうございました