こんばんは。


中度知的障害のある妹のことが嫌いなきょうだい児毒姉です。


いつも記事の最後に「障害者の家族」みたいなバナーを入れてたんですが、気づいたらアメブロの仕様が変わっていて、やれなくなってます。


まぁ、記事書く分には関係ないからいいか。


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※この記事はアメ限にするかもしれません。


「○○ちゃんは、家族のムードメーカーで…」


よく聞く話だ。


これって、いい表現なのか?


私はあまりいい印象を持たない。


我が家の実家でいえば、妹がムードメーカーになる。


ムードメーカーっていえば聞こえがいいが、結局のところ、「その子に周りが振り回されている」状態なんじゃないかと思う。


特に、知的障害児のいる家では障害児が落ち着いていれば周りも落ち着いて生活できるし、障害児が暴れたり、不安定だと周りも疲弊する。


逆にいえば、なんの躊躇いもなく「我が家のムードメーカーで…」と障害児を紹介できるのは、


・障害児にきょうだい児が振り回されていることに気づいていないお花畑な親

・「ムードメーカーで…」とポジティブに見える言葉で「子どもの障害を受け入れていますよ」とアピールしたい親

・受け入れているふりをしている親

・派生して「障害児を家族みんな受け入れています」とアピールしたい親


とか、そんな感じに思ってしまう。


はい。自分が捻くれまくってるのは自覚している。


ここはあくまで「私の主張をする部屋」なので、ご自分の意見がある方は、ご自分のお部屋で語ってくださいね。


私の母が「妹ちゃんは我が家のムードメーカーで…」と紹介し始めたら、泡吹いて倒れると思う。いい加減にしてくれと。


親のあなたはそう思ってもきょうだいの私はそんなポジティブな感覚にはなれない。それなのに「我が家の」ってつけないでほしい。「我が家」に私は入っていないのかな?って思ってしまう。


今は結婚して家を出てるから、「我が家のムードメーカーです」って妹を私に影響しない範囲で紹介したければ勝手にどうぞって感じ。


両親は私たちが子どもの頃、妹を中心に据えるような育児はしていなかったように感じている。


それでも、妹は台風の目として家族を振り回し続けてきた。


特に、思春期以降、ひどくなっていく一方で、見たくもない日々が続いた。


これがもし幼少期から「妹ちゃんはムードメーカーね」なんて話をされてたら、きっと私は死んでた。


あー、実際に死ぬと言うよりは、死んだように生きていた、と言う方が正確かもしれない。


どこに行くにも、妹を同伴しないといけない辛さは本っっっっっっ当にきょうだい児にしかわからないと思う。


自分の行事なのに、妹の方が目立つっていう辛さ。泣きたい。


ムードメーカーが全てを奪っていく苛立ちと恐怖。


死んだように生きていただろうな…。


だから、両親が妹のことを私たちきょうだいの前でムードメーカーで…と紹介しなかったことだけは感謝している。