最近ほとんどテレビは見てないんですが、久しぶりにタモリ倶楽部を見ました。

自分でニックネームを付けた、一年間飼育してもらい成長したうなぎに再会し、はたしてその名付けたうなぎを食べられるか否かという企画。

名付けゲストはメイプル超合金の二人、YOUさんそしてタモリさん。食べるいや食べられないと行ったり来たりも、結局四人とも食べられませんとなったのですが、

その心中をゲストとタモリさんが面白おかしく、それぞれの個性を出しながら話すんですが、

以前なら単純に楽しんだんでしょうが、今回はそれぞれの個性を上手くきっちり表現していることが、どうしても鼻について仕方ありませんでした。

テレビの企画上のことと分かっていますが、ひとりひとりの個性を際立たせ、人はそれぞれ別々だ!と納得させようとする空気がとても息苦しく感じました。

テレビにはワンネス、ひとりひとりじゃなく愛に基づいて、みんな繋がっていっしょ、人に優しく思いやるという意識は無いんですかね。

分断化は人々を黙らせてしまうと言いますけど、スポンサーのための番組づくりだから、本当に中学生に教えてもらうしかないんでしょうか。ダサいと片付けられちゃう。

いま中国はこんなことになっているんですよ、みなさん。われわれにできることは何でしょう。正しく伝え、学者とかでなく一般のひとが問題意識を持って話し合う番組なんてないです。むしろそう思わせなくさせるのがテレビの使命なんでしょうか。

ひとりひとりが悲惨な実情を知り、苦しんでいる人々の立場にたって、声を上げていきましょう。というのが本来の愛ある行動、報道の使命だとおもうのですが、いまはネットで知るしかありません。

人はみな自分と向き合うという最も大切なことを忘れてしまっている。テレビは観るものでなく付けるものだから、部屋の電気を付けるようにテレビを付ける。

テレビが言うことに無意識に聞き無意識に見ている。かなしいかな自分というスイッチは切られたままだ。

これはおかしいんじゃないかと感じる心を平気で片付けて、誰だってそうだから、誰かが何とかしてくれると、仕舞い込んでしまう。

人の不法侵入には気をつかうが、テレビの不法?合法?侵入にはおかまいなし。自分はテレビという部屋に籠ったきり出てこようともしない。みんな自分が留守、居留守をつかってる。

テレビを消して、目を瞑って、外を遮り、深ーく長ーく深ーく呼吸をし、気持ちを落ち着かせて・・・とても゛いい気持ち゛なったら、そのとき本来の自分に会えるんじゃないでしょうか。