私が育った家には男というものがいなかった。たしかにいるにはいたが、これが男というものなのかと、思わせるものはなかった。

いつも女のいうことを聞いている。言いたいこともあるだろうに、それを言わずただ仕事をしているだけである。

男親とはこうである。男の存在感はこういうことか。私のインナーチャイルドはこの重要な部分を学ばなかった。

まじめにコツコツ仕事をするのが男の有り様ぐらいにしか捉えられず、家族を守るのは仕事さえしていればいいぐらいにしか認識できなかった。

その代わりというか、圧倒的な女性の存在感を感じる日々の連続だったように思う。家族を守るべき存在の男が、いつも女性に守られているのが当たり前になってしまった。

祖母に母に姉に守られているという錯覚を、いつのまにか確信にしてしまっていた。そしてそれは私のインナーチャイルドの性格に多くを占めてしまっていたようだ。

強いのは女性であり、男は守られている。だからいつしか依頼心がめばえ当然のことにしてしまった。甘ったれの大人になっていく。

人間の本能とは赤ちゃんが顕著だが、快・不快の反応だそうだ。生存することに安心と感じるか、不安に感じるかで行動が大きく変わるそうだ。

安心と感じるなら本来の力を発揮するし、不安と感じるなら、その緊張状態から逃げ出していくという。

だからいつでも家族の目を気にしていた。さらに周囲の人を世の中を、自分に害が及ばないか、びくびく様子をうががっている。

安心を得ようと、不安にならないように及び腰、逃げ腰の性格がインナーチャイルドに植え付けられてしまったのだろう。

そして人前では自分を曝け出すのを恐れ、周りに合わせることばかりに気が向く善人の仮面を身につけてしまったのだ。

子どもにとって最も大切な、安心感を与えることができず、様々な負の遺産を受け継がせてしまった。