うつ状態ながらも、子どもの頃の元気だった自分を取り戻したいと娘は、常に思っている。
どこの親も当たり前のようにするであろう病院へ行くことを私たちも勧めた。初めて訪れた精神科の先生の印象がとても悪くかわいそうだった。あまり気が進まないようだが、しぶしぶ通院を続けたこともあった。先生と話すのは嫌じゃなかったようだが、薬は問題だった。
薬を飲んだ後の身体の不快感、薬そのものの知識も疑問も増え、その実態を知るにつれ薬なんかじゃ直るはずがないと、まったく薬は飲まなくなった。
報道などでは知る由もないが、製薬会社と病院さらに国が絡んだ裏の関係は、金のためであり、とてもじゃないが患者さんのためなんて言えたもんじゃない。
不安を抱えながらも、なんとか働こうとがんばった。娘本人も言うのだが、何で苦手であるはずの接客業を選んでしまうのだろうと。
当時は、声が出ない、話そうとしても声がかすれ、弱々しくなってしまうと悩んでいたのにである。
善人仮面は、何度も声が出ない悩みを訴えられていたのに、話を聞いてやるくらいで、本当に助けになるような事を伝えてあげられなかった。
苦手で嫌な目に遭うかもしれないのに、なぜ人と接する仕事を選んでしまうのか。
娘にとって人と接することは避けては通れない、恐らく自分の生きる意味に通じる重要な関心事になると薄々感じていたんじゃないか。
お決まりの日常の会話なら大丈夫と思われがちだが、むしろそこが大変であって、会話の入り口でこそ相手との気持ちの温度差、相手の生の印象まるごとと出食わすことになる。
受ける波動が荒かったり穏やかだったり、優しさだったり不快感だったり、突然生じる疑問だったり〰〰〰
感受性が人一倍敏感な娘にとっては、相手の一言、その瞬間、胸にワーッと押し寄せて~~~とにかく話さなくてはと、でもテキトウなことは言えないが押し問答を始め、声が出にくくなるのではないか。