
🏮川崎市長選で話題の宮部龍彦さんと“赤いポスト理論”をめぐる深い話📮
川崎市民でも神奈川県民でもないのに、なぜか気になる存在——それが川崎市長選候補の宮部龍彦さん。
SNSでも発信が鋭くて、「おや?」と思って調べていくうちに…出てきたのが、部落解放同盟と日本共産党の対立、そして朝田理論(赤いポストの話)というワードでした。
「反差別」って同じ方向を向いてるはずなのに、なぜ仲が悪いの?🤔
ポリコレ、キャンセルカルチャー、コンプラ…現代のモヤモヤ問題にも通じるテーマなので、一緒に軽く覗いてみましょう👀
🧩まず、なぜ解放同盟と共産党はケンカしたの?
実は、戦後すぐの頃は仲良しでした。
共産党は「すべての差別をなくそう!」
解放同盟は「部落差別を根本からなくそう!」と、方向性は同じ。
ところが1960年代になると、運動の“進め方”でズレが出ます。
- 共産党:「差別は社会の構造問題。民主化で解決しよう」
- 解放同盟(朝田理論派):「当事者が主役!差別する側は徹底的に糾弾すべき!」
ここから、いわば“やり方の違い”がガチの対立に発展⚡️
💥八鹿高校事件などの衝突も
1970年代には糾弾闘争がエスカレートして、
八鹿高校事件・矢田教育事件などでは暴力沙汰にも。
共産党は「これは人権侵害だ」と批判し、
以降、両者は完全に絶縁状態になりました。
つまり根っこにあるのは、
- 「差別をどうなくすか」
- 「行政支援や利権をどう扱うか」
という運動理念の違いなんですね。
📮「朝田理論」と赤いポストの話
「差別かどうかは、当事者がそう感じたかどうかで決まる」
これが朝田善之助さんの朝田理論。
つまり、「差別された」と感じた本人がそう言えば、それが“差別”になる。
——この発想が、当時の解放運動を大きく変えました。
でも皮肉なことに、世間では「ポストが赤いのも差別」と揶揄されるように…
なんでも差別にされる“主観至上主義”の象徴として広まってしまったんです。
でも、こちらの記事によれば、確認糾弾会でこのようなやり取りがあったそうです。
郵便ポストは、部落の中に一つしかない。しかも、回収に来られたら一通も入っていない。赤い郵便ポストがあってもそれを使うことができない我々にとっては、あの赤さも悔しい対象なのだ
🤖いまの時代にも通じるテーマ
「それってハラスメントじゃない?」
「その発言、差別的じゃない?」
現代の“ポリコレ社会”にも、朝田理論の影がチラリと見えます。
被害者の感じ方を尊重するのは大事。
でも、そこに利権や政治的正義感が絡むと話がややこしくなる。
この構図、どこか今のSNS論争にも似ていませんか?💭
💡まとめ:「赤いポスト」は時代を映す鏡
赤いポストが差別に見えるかどうか——
それは、社会の構造や空気によって変わる。
朝田理論の本質は、“感じ方の政治”。
宮部龍彦さんが問題提起している「行き過ぎたポリコレ社会」や「声の大きな運動の危うさ」とも、どこか重なります。
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