1953年4月30日の読売新聞の記事で
「原子炉に危険なし」
って記事があります。
この記事を読むとやはり
事実をごまかして記事を書くのは止めようよ
と思うのですが、

2012年6月に
「太陽光で原発20基分」
という見出しの新聞記事がありました。
この記事もやっぱり、事実をごまかした記事ではないか
と思わざるを得ません。

この規模の電力に限れば、
現在の技術では電気は貯められません。 
だとすれば、原発が生み出す安定した電気と、
天候に左右される太陽光発電が生み出す不安定な電気は
別物です。

蓄電池の開発は進んでおり、
家庭用の太陽光パネルの電気程度であれば
貯められるようになってきていますが
ここでは原発20基分の電力という規模の話をします

電気は貯められない
これが一体何を意味するのかというと
例えば、部屋の電気のスイッチをオンにした時
そこで流れる電気は、
スイッチをオンにしたまさにその瞬間に
どこかの発電所で発電されている電気である
ということです。

つまり、部屋の電気のスイッチをオンした時
その時に社会全体の使用電力が、
発電所で発電している電力の総量を上回った時
停電が起るということです。

このように、電気の運用には高度な技術が必要であり
失敗すると大停電という深刻な事態が起こってしまう。
そのような役割を東京電力などの電力会社が
担ってくれているので
今の私達の快適な暮らしが成り立っています。

原子力発電はベースロード電源と言われています。
一日の電力供給を考えてゆく上で、
まず、発電量の小回りが利かない原子力と水力によって
一定の電力供給を確保しています。

その上で
電力使用料が多い時間帯と少ない時間帯において
発電量の小回りが利く火力発電のスイッチを
入れたり消したりして
電力供給が不足とならないよう、
しかも必要以上に発電をしないよう調整している。
こうして僕らの暮らしが成り立っています。

原子力発電が担っているベースロード電源という役割を
太陽光発電に担わせる事、
それは明らかに不可能です

太陽光発電の発電量を原発に換算するという計算は
太陽光も原発も、生み出す電気の質は同じ
という前提がなければ不可能なはずです。

よって、この記事はどうしても
事実をごまかした記事である
と判断せざるをえません。

もし、仮に
原発20基の代わりに太陽光発電を選択したとします
その際に、一体何が起るか想像すれば
電力需要が増えた際に、天候次第で
大停電が発生する可能性がでてくるでしょう。

震災後の計画停電においても、
信号機の停電により交通事故で亡くなった方がいます。
突然、大停電が発生し、いきなり信号機が消えれば
一体何が起るのでしょうか?

もちろん、核廃棄物の更なる増加を食い止めるために、 
これら自然エネルギーのリスクを引き受けましょう 
という判断を下す事、それは全然ありだとは思いますが 
もし、未来に対して責任を果そうとするのであれば 
その判断は、事実をごまかした情報によって 
なされるべきではないでしょう。 

もし、私達が原子力発電の問題に取り組み 
未来社会に対する責任を果そうとするのであれば 
いわゆる再生可能エネルギーが、
ウソ、デマ、捏造によって広まる事を防ぐ事 
新しい既得権益となって
社会にさらなる害悪を及ぼさぬよう注意する事 

どこかにいる悪者を批判するだけでなく、 
今ここにいる私達こそ、注意する必要がある。 
と僕は考えています。