結果は同じでも、気持ちは違う | 困難を生き延びたから、幸せになる!のびのび生きる

困難を生き延びたから、幸せになる!のびのび生きる

サバイバー アダルトチルドレン アスペルガーでも 大丈夫

こんにちは、困難から生き延びた*SAWAです。

身体とこころと魂の総合的なアプローチします。

(私の視点から書いてますので「正解」ではありません)

 

 

私の特性の一部を書いてみました。

良かったらお読みください。

 

 

 

この記事の続きを書きます。

 

ADHDの特性とうまく付き合いながら、

自分の人生を楽しくエンジョイされている方を

ブログで知ってネットでお話をさせていただいた方は、

私と違うタイプの特性をお持ちでした。

 

だけど

彼女の話す内容や世界観などが似てる気がしたので、

セッションに申し込みました。

 

彼女の雰囲気やパワーに魅了されつつも、

望む世界観は似ているけれど、

歩む道すじが違う気がしました。

 

叱られる私の場合

例えていえば、

前にも書きましたが、

保育園ころの話です。

 

みんなが取り合ってブランコに乗れなかった時に、

「みなさん、お部屋に入りましょう」の先生の声に

みんなが一斉に上履きに履き替えようと

下駄箱や入り口に群がって渋滞してるのを見て、

 

私は

「みんなが部屋に入るまでの時間を、

入り口でボーっと待たないで、

ブランコに乗っちゃおう」って合理的に考えて、

ブランコの方に走っていって乗りました。

 

先生から

「言うことを聞かないワガママな子どもだ」と

叱られた気がします。

 

𠮟られる彼女の場合

彼女も似たような経験を話してました。

 

ここでは分かりやすくブランコの例で妄想してみましょう。

 

上履きを履くみんなの列に並んでる彼女に、

ブランコがふと目に入った。

すると乗りたくなって

列から離れてブランコに乗って遊びだす。照れ

 

先生から

「言うことを聞かないワガママな子どもだ」と

叱られた。

結果が同じでも、気持ちが違う

先生に𠮟られるという結果は同じですが、

本人の気持ちが違います。

 

 

彼女は純粋に自分の欲望を行った。

 

先生の言うことに従わないで𠮟られた。

 

だから

子どもらしく素直に謝るという感じです。

 

 

私は

先生の言葉には従わない形になるけれど、

先生の意図=部屋にはいることには従っている、

(ただ混雑してるから待つ時間を

ブランコに乗って有効利用してるだけ)

という理屈があって、

叱られても素直に謝る気持ちになれない

 

しかも

ブランコに乗ってる間でも、

列が収束したかどうか気になって、

中途半端な気持ちで純粋に楽しめない。笑い泣き

 

 

こういう私のような子どもには、

頭ごなしに「とにかく謝れ」と言われても

納得しません。

 

言い訳ばかりするので、

余計に怒られてこじれてしまいます。

生意気だと嫌われたりします。ガーン

 

 

私が待ち時間にブランコに乗ろうが、

列で待ってようが、

子どもたちが部屋に入り終わる時間は変わりません。

(たぶん)

 

 

だけど世間の常識では

先生の言葉に従っている行為をする態度・姿勢

重要なんですね。

 

 

正直に言って、

そんなことはあまり意味がないと思いますが、

それが不条理でも世間の常識だと言われれば、

私も大人ですから従いますよ。

 

私のような子どもは

理解できれば

素直に従うことができるんじゃないかと思います。

 

そんな風に私は思います。

 

お読みいただきありがとうございました。