先日(年末のことです。)、車に乗って、道を走っていました。

高速道路を走っての長距離の移動だったので、休憩を繰り返しながらの移動でしたが、とあるICを出て一般道に入った後、一旦休憩しようとしていました。

ICから数分走ると、車がたくさん駐車できるコンビニがあったので、そこで車を停めて、コンビニに入りました。
ごく普通のコンビニです。

いくつか食べるものを買い求めてレジで並んでいました。

すると、店長らしき40代の人物が、アルバイトらしい二十歳前後の青年に対して、
「お前、あほか!」と怒鳴りつけていました。

どうやら怒鳴りつけていた事情は、

冷蔵スペースに陳列する商品をいつまでも並べずにいたため、商品が暖かくなってしまうのに、アルバイトの青年が商品を並べていなかったことが原因のようでした。

私は、「つまらんことで、怒鳴り上げて何のためにもならんのに。。。」と思いながら、少し残念な思いをして、コンビニを後にしました。



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人間は生きていると様々な組織に属して暮らし、また、働くことになります。

その組織のリーダー・マネージャーとして組織を率いる立場となる人もいれば、組織の中でメンバー・フォロワーとして活動をする人もいます。フラットな組織であれば、意思決定が組織全体の合議を持ってなされることもあるだろうと思いますし、意思決定自体も迅速だったり拙速だったり様々だと思います。

しかし、どのような形態を取ろうともその組織に関わる人にとって、取るべき態度(attitude)というべきものがあると思います。

それは、"真摯な姿勢"が必要だということだと思います。

いくら権限を持ったマネージャーであっても、人の尊厳を傷つけてまで、命令をしていれば、部下との良好なコミュニケーションを築くことは難しくなると思います。

逆にどのような状況であれ、部下は、不誠実に仕事をして上司に有形無形の様々な形での迷惑をかけるべきではありません。どのような状況下でもベストを尽くして仕事をし、上司を助け、その成果によって組織全体が上げる仕事の質を高めることに貢献すべきです。

組織が常に新たな代謝を得て、個々人に対して成果を問い、成長していくことは、組織自身にとっても、そこに属するワーカーにとってもとても大切なことです。

なぜなら、組織はその仕事の結果を持って評価されますし、また、他方で、個々人は、その組織において、自身の知力・体力を投じて成果を生み出すことで評価され、成長し、そのことに報酬以外の「何か」を見出すからです。(それを多くの人は「やりがい」と呼ぶかもしれませんが、その言葉では語りつくせないほどのものをワーカーにもたらすのだと僕は思っています。)



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さて、件のコンビニ店長とアルバイト店員ですが、僕は、あることに注目していました。

それは、店長自身が店員を厳しく叱責することによる様々な影響に意識的かどうかということでした。

人間誰でもカッとなることはあります。でもリーダーたるもの、それをうまく使い分ける必要があります。

厳しく叱責した結果、店員はそのことを反省して、次からきびきびとした自発的な行動を取るような効果があるかもしれませんし、逆に理不尽に叱責ばかりされて、やる気をなくすかもしれません。そのような様々な振れ幅を意識しつつ、「あほ!」とか言ったのかどうかがポイントだろうなと思いました。

僕は、世の中にそんなに暖かい「あほ!」という言葉は転がっていないだろうと思っています。

店員がふてくされて店を辞めたとすれば、それこそその店員は「あほ!」で長続きしなかった奴に終わりますし、そのまま続けて働いても、その時押された烙印「あほ!」はそう簡単に覆りません。

店員が成長し、二度と店長に「あほ!」と言わせないまでの存在になって、はじめてあの「あほ!」も暖かったと思うかもしれませんが、そのときには店長のことなどどうでもよくなっているのかもしれません。

いずれにしても「あほ!」などという言葉は必要なかったというのが、最も納得のいく結論だろうと思います。ただ、少し深く考えると・・・

社会の様々な活動が組織という単位で行われるようになり、組織単位で成果を求められるようになり、同時に、個人が組織に所属して働く(もしくは、暮らす)ということが社会のとても多くの場面にある中で、個人の成長を考えるとき、組織はどのように個人に働きかけるべきなのか、そして、個人は組織にどう関わるべきなのか・・・、よーく、考えないといけないことなのだろうなと思います。

人は組織の一員であるときには、「身の処し方」「成果の上げ方」を考えますが、そのシナジーにまでは頭が回りにくい宿命にあります。

正しい答えなどないだろうと思いますが(より、個々人のパフォーマンスを最適化するやり方が多くの場面ではベターではないかと僕は考えています。)、成果主義やグローバリゼーションでぎくしゃくしたやり取りの多発する昨今の労働現場では、より深く考えないといけないことだろうと思います。



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ちなみに、僕がコンビニの店員なら、「お前、あほか!」と言われれば、まぁ、落ち込んで反省するか、店長をぼこぼこにするかどちらかだろうなと思いました。



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今回このようなエントリの記事を書いたのは、次のような記事の事件があって、コンビニと介護という違いや、家族関係が絡むという違いはありますが、組織で仕事をしていくために"共同体"に関わろうとするときの人のあり方を深く考えさせられたからでした。

「普段からバカといわれ…」義母刺す 27歳容疑者逮捕
(朝日新聞より)

組織/個人はそれぞれ、

組織は、その成果は最大化されているか?
個人は、報酬・やりがい・存在価値において最大限尊重されているか?

を求めますが、全てを満足する解を探ることは難しく、また、組織/個人は常に変化していくものであるがゆえ、常に答えを探りながら、「答えを探そうとする」コミュニケーションを大切にしていることがベストなのでは?と思いました。



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もうひとつ、労働に関わる難しい問題として、"感情を売る"こと、すなわち顧客とのコミュニケーションの質がより高く求められる仕事が増えていくことがあるだろうと僕は思っています。

以下、読んでみたい本。
特に看護という仕事を取り上げている本なのかもしれませんが、「感情労働」は僕はいろんなところに存在していると思っています。少なくとも、一日中部屋にこもり切って、木工細工を作っているような人を除くと、人はいろんなコミュニケーションを常に行いながら仕事をしているはずで、そこでは当然のようにいろんな感情が作られているはずです。


管理される心―感情が商品になるとき/A.R. ホックシールド

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感情暴走社会-「心のムラ」と上手につきあう (祥伝社新書120)/和田 秀樹

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感情と看護―人とのかかわりを職業とすることの意味 (シリーズケアをひらく)/武井 麻子

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ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか―感情労働の時代/武井 麻子

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