昨日(4/24)、脳ドックを受けてきた。



物忘れの症状の不安を解消するのが目的だった。



最初は、普通の健康診断と同様に身長・体重や視力・聴力

握力などをはかり、血液検査・尿検査・心電図検査が行われた。


そして、脳ドック独自の検査として、

神経学的検査、記憶力検査、眼底検査

そして

 胸部・頸部・頭部のX線、

 MRI、MRA

 頸部超音波検査

などが行われた。



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途中、おいしいご飯も出てきた。

とにかく種類が多くて、味付けもあっさりしていて、おいしかった。

毎日こんなご飯が出てくるといいんだけど。


ただ、肉類は控えめで、鶏肉が少しあっただけでした。



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最後に脳神経外科医による病態についての解説があった。

MRI, MRA検査の結果、脳の血管に関する異常と疑われる

箇所が2か所見つかった。


一つ目は、

小脳の内部の左のほうに1本、ほかと比べて、太い血管が

見つかった。

医師いわく、「小脳の中には、無数の血管が張り巡らされている」

そうだが、その中でも、その1本だけが、ほかと比べて目で見てわかる

ほど太くなっていた。

(それ以外は、細かすぎて、血管1本ずつをMRIで目視することは

 できなかった。)


これは、血管腫か血管奇形と疑われるとのことだった。

脳内にこれらがあると、脳出血しやすくなるとのことだった。

(MRIで判明。)




二つ目は、

心臓から脳に向かって上がってくる血管の中で、内頸動脈と

言われる部分に動脈瘤が見つかった。


動脈瘤があることのリスクは、そこから出血を起こしやすい

こと。

また、くも膜下出血の原因の8割は動脈瘤の破裂によるもので、

くも膜下出血は、救急車で運ばれて病院へ着く前に亡くなる人

が3分の1、病院で亡くなる人が3分の1と、発症した場合、

高確率で死に至る。

(MRAで判明。)




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医師は、「急ぎでないが、脳神経外科を受診し、精密に検査

し、場合によっては、手術等の措置をとることを強く勧める。」

と言った。


医師は若かったが、読影したさまざまな診断結果をもとに、

論理的に物事を考え、臨床の現場でたまたま診察すること

になった私に対して、具体的にその病態を伝えようとする

意図がうかがえた。


当たり前のことだが、このプロセスをきちんと果たさず、自己

の中で患者を一つの「臨床例」として扱ってしまう医師が

実に多い。そして、そこにはコミュニケーションが欠如し、

患者にとっては、自身で病と闘っていくための基礎材料すら

提供されないままになってしまうのだ。




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医師は当たり前だが、”理系”である。


理系は自身の理解を共有することに長けていない人が

文系と比べて多い。

(私もそういう自覚がある。もっとも私は理系の劣等生であり、

 経営工学科という文系的な学問的課題を理系的手法に

 より解決・解明することを学習・研究する学科に所属して

 いて、かつ、卒業すらしていないのだが。)


今回の説明も、いきなり画像を見せられて、

「ここ見てもらうと、白くなっている・・・・・」

などと説明が始まったので、私は、

 「そもそも、ここってどこですか。」

 「小脳って、2個あるんでしたっけ?」

 「小脳って、どういう役割をしているんですか?」

 「そのMRIって、どっちからどの方向へ向けて撮ったもの

  なんですか?」

 「くも膜ってなんですか?」

 「動脈瘤が破裂すると何でまずいんですか?」

 「血管腫は腫瘍じゃないんですか?」

 「血管腫と血管奇形の違いってなんですか?」

などと、素人レベルの質問をたくさんぶつけ、それに対して、

説明をするよう促した。


とはいっても、私の理解度はまだまだ、初歩の概念レベルに

とどまっていることは確かだが。


でも、どこが悪くて、それがどういう悪影響を及ぼし、また、

治療の緊急性などの一時的な情報はわかった。


そこがスタートなのだ。




このスタートをちゃんとできない医師は少なくとも私には

あわない。


世の中には、いろんな人がいるので、”すべてお任せ。”

という人だっているだろう。




今回、診断にあたった医師は若い。

しかし、人間的に厳しいながらも、信頼はできると思った。

また、病院としても、診療科の責任者が再度、検診結果に

ついて、チェックを行うことも約束してくれた。




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他方、認知症に関するテストはまったく問題がなく、受けた

テスト(これは、映画「明日の記憶」に出てくるものと全く

同じようなテストが一部含まれていた。)は満点だった。


また、医師によると、MRIを見て単純に認知症であると

わかるケースは、相当症状が進んだ老人などの場合で、

私のように、記憶テストで異常がない時点で、主治医は

「認知症ではないですね。」といい、


もし、物忘れなどの症状に関して、検査をするのであれば、

MRIではわからないので、CTやもっと詳細に検査ができる

器具を用いて検査し、かつ脳神経外科ではなく、神経内科

で精密な検査を受けるべきだと言われた。


また、脳外科的、神経内科的、いずれも、精密な検査は

大学病院クラスでないと機材がない、とも言われた。




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正直、今の気持ちは、今回見つかった、将来的な「脳の爆弾」

は、全く怖くなかった。


そして、それを積極的に治そうという気にもならなかった。



また、記憶が飛ぶ事象は、復職のためにも必要な一要素だが、

これもどうでもよくなってしまっている。




でも、現実を見て、今後に向けて、どうするのかは考えて

いかないといけない。復職は、主治医・産業医それぞれとの

やりとりでどうとでもなる問題だと思っている。


僕にとって復職は、会社に居続けられるかどうかの能力試しの

残されたチャンスだと思っている。


それによって、社会人として、経済力を自身で賄い、同時に

自己の能力によって、実現される結果・成果とそれに対する評価

を通じて、自身を承認する行為であることを意味している。


もうほとんどこだわりはないが、今後の展望がまるでないので、

どうにも行き詰っている。


今後、どうしていくかは考えないといけない。


一つ一つ物事は解決するして行くしかないと考えると、退職後、

脳の治療・うつの治療に専念しながら、社会生活に復帰できる

ことを目指していくことがよい選択かもしれない。


仕事をしつつ治療するのは、新しい職場へ移ったとしても、

難しいことかもしれない。


仕事に就かなければ、経済的に難しい状況に追い込まれていくが。。。




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ただ、一つ心配なのは、仕事に就くことができない状況が続いたり、

脳の病気で、結果として後遺症が残り、家族に迷惑がかかること

だ。(経済的にも、病気のケアの負担という意味でも。)


いっそのこと、そうなるなら、死んだほうがいいとも思う。


自分が今どの程度、生にしがみついているのか、客観的には

判断できていない。




死にたいのではないが、生きている意味は薄くなってきている。