人馬一体! ロードスター20周年記念ミーティングに潜入した。 | ふたりで行くぞ!ドルフィードリーム

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ボークス社製ドール「ドルフィードリーム」の撮影ブログです。

屋外撮影を中心にしております。

こんばんは、snakeでございます。


皆さんの中には、自動車を所有している方もおられると思います。

日常の移動のため?生活のため?趣味?

ドライバーごとにいろんな背景があって、人間と自動車は切っても切れない深い関係に有ります。


ぼくが乗っている車は、マツダ(マツダE&T)の「ロードスタークーペ タイプA」です。

生涯2台目の車でして、最初は「ユーノス(マツダ)ロードスター NA6CE」に乗っていました。

ぼくはロードスター以外の車を買ったことがないんです。


日常の足であり、愛するパートナーであり、宝物なんです。



初代ロードスターは1989年に発売されました。

当時のぼくは、まだ小学生でして自宅の近所にマツダの関連会社がありました。

大きな工場と大きな駐車場に、ある日突然大量のオープンカーが停まりはじめたんです。

通学路の脇にある駐車場から毎日のようにロードスターを見ていたんです。

そのときは「あの車、屋根が布で出来とるわ。」程度でした。


しかし、その工場の前を歩いているときに、一台のマリナーブルーのロードスターが。

そのロードスター、昼間だというのに一瞬ですがヘッドライトを点灯したんです。

今では絶滅したリトラクタルブライトです。スポーツカーの証明だと思っています。


衝撃を受けました。ランドセル背負って。


ぼくは、あの日からロードスターに乗ることを夢見て生きて、そして夢を叶えたんです。



最初は、NA6CEのスタイルに惚れこみ、オープンカーという特異な車ということにも惚れていました。

しかし、それはロードスターのほんの一部に過ぎなかった。


この車、乗れば乗るほどに楽しいのです。

まさに、車と一体になったような感覚に陥ります。

スピードは出さなくてもいい、街乗りでぜんぜん構わない。なのに、運転が楽しくて仕方がない。

さらに、何だか自分の色に染めたくなってしまう愛らしい車でして、

どうしても自分のスタイルを重ねたくなり、以前のNA6CEはエンジン以外にチューニングを施し、

外観も自分好みにカッティングシートやらステッカーを施したんです。


オーナーの心を捕らえて離さない。乗る人を幸せにしてしまう車。

そんな幸せがオーナー同士を繋ぎ、かつてないオーナー同士の繋がりが出来た車です。

各地でロードスターのオーナー同士がクラブを結成して交流し、メーカー側とも深い繋がりが出来ました。

そういう意味で、非常に特異な車だと言えます。


そして、今年はロードスターが誕生して20周年です。

そんな愛されまくりのロードスターの誕生20周年を記念して、メーカーであるマツダの多大なる協力のもと、

マツダ株式会社三次自動車試験場で「ロードスター20周年記念ミーティング」が開催されました。



この史上最大のお誕生日会に終結したロードスター、世界各地から約1600台!!

もはや三次市内はロードスターだらけという大騒ぎした。どこ見てもロードスターだらけ。

しかも、一台たりとも同じ仕様の車は無いといえるオリジナリティ溢れる車両ばかりです。


写真撮影は、メイン会場だけに許可されていたので、この壮大なるロードスターの大群は画像でお届けできません。

しかし、しかしですよ。世界中のどこを探しても、車のお誕生日会に1600台も集まるかと。

それほどに、オーナー同士の繋がりが強い車なんです。


当日に詰め掛けた1600台のロードスター、そして2600人のオーナー達、

2009年9月20日10時20分20秒 ロードスター20周年を記念して乾杯!

全世界同時乾杯!


一体この世界で何人ものオーナーがロードスターを同時に同時刻に祝ってくれたのか。

全てのことが史上最大規模です。

どこでも行くぞ!ドルフィードリーム 2


「人馬一体」これこそが、ロードスターを表す一言です。(武田双雲氏の一筆みたいですね)

絶対的に速い車ではありません。

しかし、その走りは本物のスポーツカーです。

車と一体になって街を、山を、海辺を、さらには外国まで駆け抜けた20年。

この精神を失わない限り、ロードスターは永遠です!



どこでも行くぞ!ドルフィードリーム 2


ロードスター20周年を祝うために、全国のオーナーズクラブから大集合です。

ぼくが所属している広島のクラブでも、クラブを挙げてお揃いのTシャツで参加しました。

さらには、当日はイギリス、フィリピン、タイと世界の国々からもお客が訪れました。


イギリスのオーナーからも英語で声をかけられてしまい、

さっぱり聴き取れないので握手しながら「ハロー!」と言うのが精一杯ですが、

どうやら仲間意識は伝わったようです(^^;;;;;



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10年前に発売されたNB roadster 10th anniversaryです。

10周年ミーティングの時の寄せ書きが全面に書き込まれています。


そして時は流れ…。



どこでも行くぞ!ドルフィードリーム 2


20周年記念車です!ロードスターはついにNCEC型に進化しました。

ぼくも左ヘッドライト下の部分に名前を書いてきました!

どこでも行くぞ!ドルフィードリーム 2
寄せ書きです。ぼくの名前ではなく、車の名前とシリアル番号で再会を誓いました。



この私の車、「ロードスタークーペ タイプA」なのですが凄まじくレア車両なのです。


出会いは2003年の清里ミーティングでした。

興味本位で参加したのですが、そこで運命の出会いが待っていました。

当時のマツダ社ゲストは、NAロードスターのデザインを手がけた福田成徳氏でした。

同じオーナーズクラブに所属しながら、雲の上にいらっしゃるお方で、もちろん話などしたことなかったのですが…。

そこでの講演こそが、ロードスタークーペの開発秘話だったのです。


身体の芯から感銘を受けたのです。


この車、今ではコンピューターでデザイン設計されるのが当たり前の時代に、

何と図面からクレイモデルを作り、職人の手による削り出しで生まれたボディデザインです。

しかも、そのクーペモデルの後姿は、「NBの完成」とある方が表現した美しさだったのです。

もちろん、そのデザインは福田氏入魂の作品。


以前、眼にすることのあった「RSクーペ」というコンセプトカーの時にはそうでもなかったのですが、

このタイプAと名づけられたモデルのカッコよさにシビれてしまった。


しかも、超少量生産体制という豪華なものでして、

通常のロードスター生産ラインからホワイトボディを外してきて、マツダE&Tの工場で…。

溶接職人様による手作業でボディ製作という、マツダの職人技の結晶という事実。事実です。ウソじゃない。

ウソみたいなのですが、本当にこの時代に超高級車みたいな事をやってたんです。

何と、1日に2台しか製作できない!

さらには、ボディ構造から見直されて、さらにボディが強化されているという…。


こういう、レアで限定で、ひとつひとつ人間の魂を与えられた車には、きっと一生出会えないと思ったんです。


フラフラになりながら、福田氏にご挨拶させて頂き、率直な気持ちをぶつけました。「欲しいです!」

色は、最初イエローにしようと思っていたのですが、福田氏のオススメでベロシティレッドマイカに決定。


車両価格310万円という高額な車で、当時のぼくは23歳、実家暮らしだったのでローン払えると判断して

一気に注文してしまったのです。(その後、転勤で一人暮らしをする羽目になり、地獄のローン返済生活が!)


前述の通り、すぐに作れる車じゃないので、納車まで3ヶ月待つことになりました。

3ヶ月かけて、ぼくのロードスタークーペ タイプAには職人の魂がこめられました。


福田氏のご好意で、ぼくとロードスタークーペの2ショットでの肖像画を描いていただきました。

もう、家宝でして、福田氏からの嬉しい一言を添えて描いていただきました。

肖像画の中では、ぼくはだいぶ美化して頂いて、当時長髪でメガネだったのでヨン様みたいになってました(^^;;;

それからもう嬉しい事が盛りだくさんで、感謝のキワミでした。


5年前のお礼を言いたくて、20周年ミーティング中に福田氏に突撃しました。


5年前のぼくは髪を伸ばして、めがねをかけていたのですが、今は短髪でコンタクト。

福田氏は、ぼくが名乗ると思い出していただけたようでした。

「頭刈ってたから、わからんかったよ~」と。

5年分のお礼を気持ちを伝えることが、このミーティングでの目標でした。

超テンパっていましたが、何とか話しかけることができ、握手を交わせました。

大きくて力強い手でした。

ぼくと、クーペが元気なことを伝えることが出来ました。もう思い残すことは無い…。



どこでも行くぞ!ドルフィードリーム 2

クーペは福田氏の熱い思いと、職人魂の結晶です。

見てよし乗ってよしの車です。非常に目立つので、街中で声を掛けられたりもします。

10年後の30周年ミーティングにも、もちろんクーペを連れて行き、

今後、意地でも手放すことはないでしょう。

将来、博物館に展示される車両になるのが夢です。


マツダ社も、30周年に協力してくれると名言されましたし、あらたな目標にもなりました。

クーペのローンは返し終わったし、これからはクーペを出来るだけ綺麗に乗ってやらないとですね。


これから10年後に、また三次でお会いしましょう。