ごきげんよう!
今日もご訪問ありがとうございます
何度も何度も、時を挟んで
コレなんだよね、という思いが浮かぶのだけれど。
伝わるかなぁ…
と思いながら、また、日常に紛れてしまうんだよね^^;
今、私のそばにあるものは、いずれ何も必要なくなる時がくるのですね。
その時、何が心にあるのだろう。
私は、母が旅立つ時、離れたところにいました。
(骨折して手術を終えて1週間という状況)
自分では動ける状況になかったので、ただ、ただ、心の中で感謝を、そして、不思議な母との縁を思っていました。
その時のことを思い出しますと
今になって、その時、母の中には何があったのかな、と思うのですね。
そばにいられたら、何かを感じることができたのかしら?とかね…今となってはわかりませんが…
その時は、それまで、自分に出来るだけ母をサポートしてきたと…
だから、覚悟を決めて、離れたところで見送ろうと…自分に言い聞かせて。
今、それは後悔とは違うのだけれど、話もできなくなっていた母ではあったけれど、側にいたら私は何か感じるものがあったのかなぁ…と
その時にはわからなかったこと。
その時だからわかること。
時間が経ったからこそ、変わる想い。
時間が経ったからこそ、馳せる想い。
そこにはもう手の届かないけれども、今から生かせるものがあるかもしれないと…
偶然、従姉妹と、祖母の話になった時、驚いたことがありました。今年のはじめころのこと…
祖母の生まれ育った場所や、親戚スジの話は、聞いた事があっても、誰も、祖母の両親や兄妹などの話を聞いた事がないと…
その意味することは、正確にはわからないけれども…
亡くなるまで、家族のために、働いていたと思っていたけれども、それだけではないんだろうなと。
祖母にとっても1番幸せな場所で、幸せな時間を作り上げていたんだろうなと…
その人の人生のなかには、その人にしか分からない想いが詰まっているんだよね。
そっと、眺めていたいと思います。
とりとめないね…