悶々 | ハッピー・ファミリー

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おうちが大好きな のんびり主婦の日常 のつもりですが 本当は 専業母親で あまり主婦はしてません

長文も長文。

こんなに長々と申し訳ないです。 

 

最近、悶々と考え事ばかりしてしまいます。

基本的に、悩んだら解決することは悩んだらいい。ああ、悩むがいい。って感じです。

でも、悩んでも解決しないなら、子どももいて独りって訳じゃないんだから、悩む時間が無駄。って「いつもは」思ってます。

 

今回は、上手に気持ちの調節ができません。

いろんなことが重なったからだと思います。

 

何ヶ月か、そのことに纏わることをこの場で書くべきか、考えました。

元来、私は、文章を書くことによって、気持ちの整理をするタイプです。

書けば落ち着く、というだけなら、メモ帳に書けばいいのです。

同病相憐れむ、というのは苦手です。

同情は、するのもされるのも苦手です。 

私は、私の居場所が欲しい、誰かに私のことを認めて貰いたい、っていう欲求が常にあるので、こうやってここに書いているのだと思います。

恥ずかしいことです。

 

私は、甘え下手でバカなところがあるから、こういう考えをするのだと思います。

自助サークル等に、何かを言いたいわけではないのです。

そういう場は、必要だと思います。

同情されることなく、共通の感情を持つ物同士語れることに、魅力を感じます。

素直に、滑らかな人間関係を持たれていることに関してのみ、憧れを感じます。

そこに参加することになった事由に関しては、その人にしか分からない悲しみや苦しみや、そんな中でも喜びや大切な思いもあるだろうから、私の語れることではありません。

悲しいときに悲しいと言えて、励まし合い慰め合える、という健全さに、憧れがあるのです。

私が愚かで、人付き合いが苦手故、それを苦痛とするだけなのです。

もう少し柔軟なら、どんなに救われるんだろう・・・。

 

私は、私が私のことを書くのは、自分自身が納得さえしていれば自己責任、だと思ってます。

そこにフェイクを交えるのも、全てを明かさないのも、自分次第です。 

ただ、子どものことに関しては別です。

子どもを載せることを嫌う多くの人は、プライバシーやペドフィリアに対する危険性や子どもの人権の点から、反対しているように思います。

もっともだと思います。

私は、私の病気や状況を書くのは私自身の問題だけど、子ども自身のプライベートを、親だというだけの人が勝手に明かしていいのだろうか、という点で、引っかかりを感じていました。

 

こういう話題を書くと、同じ悩みを持つ人と交流が持てて、情報を得たり、慰められることも励まされることも多いです。

でも、例えば、宗教だったりマルチだったり、思想系の方達のアクションがあるのも現実です。

それと、悲しいことに、こういう努力をしないからそうなったんでしょ、という、はた迷惑な、根拠のない、とんでも系のことを言われることもあります。

仮に根拠のあることでも、それを第三者が責めたてて、何になるんだろう。何がしたいんだろう。

  

自分が傷付きたくなくて、子どもを晒し者にしたくなくて、4ヶ月、悩んだのだと思ってます。

こうやって書けるまで、4ヶ月もかかりました。

何も恥じてないのに、何でだろう。

 

私は、人間関係って難しいな、と、小学生の頃から思ってきました。

いつもいつも、30年も模索し続けてます。

普通に交流を持てるけど、その後、気疲れで、しばし放心状態です。

友だちが欲しい、と切望するのと同時に、独りの気楽さも感じてます。

これではいけない、と努力はするものの空回り気味です。

敗因は、潔癖すぎる考え、と、独りではいけないっていう気持ちを持続させることが下手だから、だと思ってます。

 

こんな母親なのに、子ども達は友だち作りが上手で、心から安堵してます。

 

実は、私の末っ子は、先天異常がありました。

生まれてからNICUに入院し、そこで初めて、見付かりました。

お腹にいるときの、出生前診断(超音波)では、全く分かりませんでした。

私は、超音波は、性別や顔を見るためのものではなく、あくまで、出生前診断だという認識を持っています。

性別や顔は、おまけだと思ってます。

手術後、訓練を必要とするものと、今の医療現場の考え方から何もしないだろうものとがあります。

訓練と処置は、数年で済むはずです。

でも、一生、配慮というか留意は必要です。 

新生児気胸は完治しました。

異常があったのが原因か発症してしまったものがあって、春に短期入院で手術が必要なものがあります。

これは、完治します。

 

でも、日常生活には支障がありません。

・・・と書いた瞬間に、支障がある人に対して、失礼なことを書いていないか、と、自己嫌悪が始まります。

 

生まれてきてくれて本当に良かった、と、心から思ってます。

・・・と書くと、この世に長くいられなかった子と親に対して、傷付けることを書いてしまった、と反省してしまいます。

 

身体障害や知的障害は、今のところなさそうです。

・・・と事実を書いただけのつもりでも、身体障害や知的障害に、差別や偏見はありません、って力説しないといけないような気持ちになります。

会話におけるタブーやモラルに留意しつつ、誤解無く伝えることの難しさ、を感じます。

 

多少大変ではあるけど、子どものことは愛しくて大切です。

・・・こんなの、私だけが特別じゃなくて、全ての親が思ってることじゃない。

偽善的というか、欺瞞というか、こうやって書くことは、愛情深い良い母親、ってアピールしたいんじゃないの?って、自分に問いかけてしまいます。

 

こういう状態で、こういう手術をしました、処置をしています、って書くのは、子どもの尊厳を傷付けていないか、と、躊躇いが生まれます。

 

他人の何気ない言葉に傷付いてしまうのに、私だって、傷付けることがある、っていう事実に、申し訳なさを感じます。

ダブルスタンダードって、私には許せない行為なのです。

自分は良いけど他人は駄目、って、なんて勝手なんだろう。

こういう、青い潔癖さが、人間関係を困難にしているのを、よく知っているのに。

誠実でありたい、って思えば思うほど、世の中が生きにくいものになります。

実の両親ですら、私のこういう悩みには気付いていません。

 

悲劇のヒロイン、というのは言葉が悪いけど、自分だけが可哀想で、自分の身だけに特別なことが起きたわけではありません。

珍しくはないこと、だと思ってます。

 

可哀想だったり大変だったりするのは、子どもであって、私ではありません。

親は、いかに支えるか、何がベストか、というのを考えて、実行できれば幸いだと思います。

私も、子どもに関して、たくさん考えて、相談もして、やるべきことを既に見付けてます。

後は、段階を経て、行動するだけです。

どうぞ、事がうまく進みますように。

 

NICUに入院したり、小児病棟に入院したりすると、我が子よりも重篤な子も、軽い子もいます。

羨ましいと思う気持ちは悪くないけど、妬ましいと思う気持ちは、美しくないと思います。

大変な子を見て安心するのは、絶対にしたくない行為です。

勿論これらは、私個人の感情であって、他の人がどう思おうと、個人の感情は自由で、制限するものでもないと思います。

 

最初、我が子の状態を聞いたときは、泣いたし、悩んだし、ショックも受けました。

今では、とても些細なことに思えます。

上2人と、何も変わらない(そんな訳はないけど)ように思えます。

告知された日が、ものすごく遠い昔に思えます。

実際は、3ヶ月ちょっとしか経たないのだけど。

 

でも、私が良い母親だから、ではありません。

大多数の母親と同じなのです。

私だけが特別ではありません。

我が子だけが特別ではありません。

だから、こうやって書くことに、疑問もあるのです。

考えた結果、自分の気持ちの整理や状況説明のために書く、と決めたから、なるべく坦々と書こう、としています。

 

今回、医療に従事する人の言葉の重み、を感じました。

医師の言葉は、生命の維持や日常生活が送れるか、を基準にしているから、そこに情緒がないから生じる、親とのギャップ、を感じました。

親は、日常生活での不便や危険、を心配してしまうものです。

看護師は、親を落ち着かせるために、ときに、その場その場で、良くも悪くも適当なことを言われます。

そのことで、かえって混乱するときもありました。

ひねくれている私は、事実なのか、感情がこもっているのか口先だけなのか、答えを見付けようと、心の中で探ってました。

 

よく第三者から言われる言葉に、「神様は乗り越えられない試練は与えられない」とか「あなただから大丈夫、って、この子が生まれてきたのよ」なんてものがあります。

私は、先天異常や障害があるから、この子はいらない、とも思わないし、この子が特別に可愛い、とも思いません。

どの子も、平等に可愛い、大切な我が子です。

私は、立派な人間ではありません。

特別な人でもありません。

煩悩まみれの、ただの、弱い人です。

持ち上げられるのは、苦痛です。恥ずかしいです。惨めです。

褒め殺しというか、等身大の私を見て貰えてない困惑と、過大評価されていることへのおこがましさで、消えてしまいたくなります。

健常じゃないから淘汰すべき、とは思わないけど、健常ならそれにこしたことはない、と、全ての親は願っていると思います。

それの否定みたいで、親を選んだ説は、詭弁というか、胡散臭さを感じます。

神様には何か思し召しがあられるのかもしれないけど、どうして小さくて可愛くて愛しいこの子に?って思うと、神をも畏れないとんでもないことを口走りそうで、触れたくない話題です。

 

気持ちの整理と昇華の為、子どもにハンディキャップやちょっと困難なことがあるという親の大部分が思っている、当たり前のことを、さも自分が愛情豊かで慈愛に満ちた人かのように語るかもしれません。

なるべく平坦な文章になればいいんだけど・・・。

お見苦しいかもしれないけど、どうぞ許して下さい。

苦手ならば、スルーしていただけると幸いです。

お手数をおかけして、大変申し訳ございません。

 

自虐的でどうもすみません。

多分、生まれてすぐの子どもに苦痛を与えてしまった、と思い悩む母親共通の感情だと思います。

私同様、多くの母親が、五体満足に生んであげられなくてごめんなさい、健康に生んであげられなくてごめんなさい、と、日々思っているのだと思います。