この日は予定を詰め過ぎたので、この後は短時間で周りました爆笑


丸岡城
(まるおかじょう)
福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の城である。別名霞ヶ城江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現存12天守の一つ。








一筆啓上  日本一短い手紙の館」


丸岡城は、戦国時代の天正4年(1576)に柴田勝家の甥、勝豊によって築かれました。天守(国指定重要文化財)は外観は二層、内部は三階の独立式望楼型天守です。石垣は”野づら積み”という古い方式で、すき間が多く粗雑な印象ながら排水がよく大雨に崩れる心配がないといわれています。


小ぶりながらも堅牢で荒々しさがあり、小高い丘からは眺めが良く戦国時代の風景に思いを馳せました。

この日は強風で城前ではその標高を余計に感じました口笛





永平寺


寛元2年(1244)、道元禅師によって開かれた禅の修行道場。深山幽谷の境内には70余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍」と呼ばれる7つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として特に重要な建物とされています。


吉祥閣









永平寺は2度目の参拝。

前回は若かったので感じなかったのですが、今回は境内の広さと階段にヘトヘト。

参拝の実感もなく疲れました悲しい




勝山城博物館(福井県勝山市)


勝山市の名誉市民第一号に選ばれた多田清さん(明治38年1905~平成3年1991)が平成元年から3年の歳月をかけて建設し、平成4年7月に開館いたしました。同時に財団法人多田清文化教育記念財団が設立され運営にあたってまいりました。財団は平成25年度よりさらに公益性の高い公益財団法人として認められ、現在にいたっています。

移動中の車内からパチリチュー





平泉寺白山神社(福井県勝山市)


境内は一面に緑の美しい苔で覆われ「苔宮」「苔寺」とも呼ばれますが、現在は明治の神仏分離令により寺号を廃止し、白山神社となっています。


養老元年(717年)に泰澄大師によって開かれたと伝わり、白山信仰の越前側の拠点となりました。平安後期には天台宗比叡山延暦寺の末寺として発展し、最盛期の戦国時代には、48社、36堂、6,000の坊院が建ち並び、寺領は9万石・9万貫、8,000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時は日本屈指の宗教勢力であったようです。


天正2年(1574年)、織田信長方に属していた白山平泉寺は、越前の一向一揆勢に攻められ全山が焼失、10年後に一部再興されましたが、境内は元の10分の1程度にすぎず、多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれました。






(ネットから拝借)

本当はこんな風景が見たかった!


こちらは以前から憧れていて、今回福井県の中では楽しみにしていたのですが、疲れがピークに達していたので、参道を入り拝殿までも行けず鳥居で引き返しました。


境内は一面に緑の美しい苔で覆われ「苔宮」「苔寺」とも呼ばているという。

美しい苔を見たかったけど、ここまで来れただけで満足しましたウインク




越前大野城(福井県大野市)


織田信長のエリート家臣団「赤母衣衆(あかほろしゅう)」の一人、金森長近が築城した越前大野城。天正4年から4年の歳月を要し完成した当時は、2層3階建ての大天守、2層2階の小天守、二の丸、三の丸があり、外堀・内堀をめぐらし、城を守っていました。石垣は野面積みという工法で積まれており、県指定文化財になっております。現在の城は、昭和43年に再建されたもので、城内には歴代城主の遺品などが展示されています。

現在は気象条件によっては晩秋から春にかけて、大野盆地全体が雲海につつまれ、越前大野城だけが浮かんで見える幻想的な景色が見られることから「天空の城越前大野城」としても注目され、また、続日本100名城に選定されたことから、多くの人で賑わっています。


登城は初めから諦めていたので、結ステーション多目的広場駐車場に車を停めて、何とか撮った写真。

私にとって「天空の城」なんて夢幻、この遠景で満足ですルンルン




ホテルフジタ福井(福井市)

(HPから)

二日目はこちらのホテルに泊まりました。


ホテルの部屋から目の前の福井城址が見えました。

本当は行って見ようと思ったけど、疲れ果てて見たということで良しとしましたてへぺろ


福井城址


御廊下橋


福井城は「関ケ原の戦い」後に、徳川家康の次男である結城秀康によって築かれた城です。天下普請によって築城されました。本丸、二の丸は家康自ら縄張りを行ったという説もあります。幕末の名君、松平春嶽の居城としても有名です。内堀、石垣、天守台などの遺構が残り、石垣は切込接ぎの布積みで積まれているため、大変美しいです。天守台のそばには「福井」の語源由来となったといわれる「福の井」という井戸が残っています。また本丸御殿の一部は第5代、第7代藩主を務めた昌親(吉品)とその母親の高照院の墓所である瑞源寺の本堂および書院として移築されています。天守は現存していませんが、内堀にかかる御廊下橋が復元されています。この橋は屋根付きの珍しい橋です。




夕食は、ホテルからも近く、北陸のB級グルメの代表格と言われ福井県民のソウルフードともなっているソースカツ丼を食べようとソースカツ丼の元祖のお店へ。


ヨーロッパ軒 総本店


ヨーロッパ軒(ヨーロッパけん)は、元祖ソースカツ丼の店として福井県に所在する洋食店です。
総本店は福井市順化にあり、のれん分けにより福井県内各地に支店が19店舗ある。


レディースセットを注文しました。

カツ2枚、ご飯小盛り、サラダ、みそ汁付き。(みそ汁も小盛りにしてもらいました)

真ん中の小皿はお好みで付ける用のソース。


肉は薄めできめ細かいパン粉と特製のソースが絡み独特の風味で、ご飯との相性がよくとても美味しかったです割り箸



三日目に、続く。