師匠との出会いによって

いろんな過去の出来事の捉え方が変わった


私の中でトラウマになってたことがある


小学校の卒業文集で

仲の良かった友達が

私のことを意地悪だというようなことを

書いた


それを一度見たきり

見てないから正確な文章は覚えてないから

実際の言葉はわからないんやけど


それを見て

すごいショックを受けたのと同時に

その時からみんなの目が気になり出し

みんなが

私を意地悪だ、ひどいやつだって

無視するんじゃないかと思って

中学校へ行くのも 

怖くて怖くてしょうがなかった


みんながどんなふうに私を見るだろう、、、


永遠に残る卒業文集、、、


救いは

私の小学校は

住んでる場所で2つの中学に

分かれることになっていて

私の中学へ行く人数が少なかったこと


そのことは誰にも言えなかったし

触れられたくもないことで

その時から

私は人目や自分の言動を

すごい気にするようになった


自分が言ったことやしたことが

意地悪だったんじゃないか

相手を傷つけたんじゃないか

こんなこと言う自分はダメじゃないかって

いつもいつも思ってた


自分の中の黒い部分はダメ

(黒い部分っていうのは

人を悪く思うことや意地悪な気持ちを持つこと)

人として優しくするべき

人に寄り添うことがいいこと

自分より人を優先することがいいこと

ちゃんとした人にならなきゃ

そんな気持ちが強くなった


あのことがあったから

私はこんなふうになってしまったやん


私の中で

私は被害者やった


被害者ってことは

相手が加害者なるやん


でも

そうしてる限り

自分は悪くない

あいつのせいで私はこうなったって

恨みになる


それじゃあ

永遠に解決しない


過去は変えられない

でも

過去の捉え方は変えられる


すべての出来事には

必ずプラスの面がある


それがあったから

気づけたことや導かれたこと

守られたことがある


必要があって起こってること


全てはお導き


この世は

プラスとマイナスの世界やから

どちらかだけがあるわけじゃなくて

プラスがあればマイナスがあるやん

マイナスがあればプラスがある


マイナスと思えることに

神様の深い愛がある


最近思ったんやけど

マイナスって悲しいこととか嫌なことが

起こるから嫌やって思ってたんやけど


そうじゃなくて

軌道修正がかかるんやなって


そっちじゃないよ

そっちに行きすぎてるよっていう

お知らせみたいな感じ


私の場合

独占欲が強いし

わがままで

自分の思い通りにならないと怒る


あのまま

卒業文集のことがなかったら

私は全く人の痛みがわからない人に

なっていたかもしれないなって思う


そうなって

エスカレートしたら

周りに人がいなくなって

ひとりぼっちになってたかもしれない


そう思うと

お導きやったんやなって思う


同じ出来事でも

見方を変えると

過去も変わる


今も被害者意識はでてくるけど

そうなったときに

違う捉え方を知っていることで

別の選択肢も選べる


自分はどっちを選びたいの?って


選択肢があるってことは

幸せなこと


そんなことを教わったのでした


それじゃあ

まったねうさぎのぬいぐるみ



⬇️今日は北品川にある
荏原神社に行ってきました
龍神さまが祀られてます