古代天皇の歴史について叙述する際、私は、「第16代仁徳天皇(4世紀末~5世紀前半)」

という具合に書く。




ご案内のとおり、日本書紀・古事記には、天皇の即位や崩御の年代が書かれている。

しかし、日本書紀の年代は、讖緯説というシナの歴史思想にもとづいて算出されているため、正確なものでない。

そのいっぽうで、古事記の崩年干支(崩御された年代を干支であらわしたもの)は、比較的正確なものだとされている。


例えば、第10代崇神天皇の崩年は、古事記に戊寅と記される。

これを西紀に換算すると258年である(蛇足ではあるが、この崩年干支より、崇神天皇と倭国王(邪馬台国を首都とする連合国家)卑弥呼は同時代人物であることが窺える)。


それゆえ、私は、古事記の崩年干支にしたがって、おおよその年代を書いている。


ただ、古事記の崩年干支は、一番古いものが崇神天皇のそれである。

そのため、第1代神武天皇や、いわゆる欠史八代(第2代綏靖天皇~第9代開化天皇)の在位年代は、推定するしかない。


その時に注目されるのが、崇神天皇の崩年西紀258年である。


神武天皇から開化天皇までの皇統は、みな末子による直系継承であることが、日本書紀・古事記から分かる。

それゆえ、1代(1世代)を20年ないし30年程度と見れば、おおよその見当がつく。

例えば、神武天皇のご在位(日本書紀によれば、西紀紀元前660年~紀元前585年)は、258年から200年ないし300年さかのぼらせればいいのだから、西紀紀元1世紀前後という目星がつく。

ということは、神武天皇は弥生時代中期に在位されていたことになる。



ただ、古事記の崩年干支も、どこまで正確なものかは分からない。

それゆえ、私は、仁徳天皇(4世紀末~5世紀前半)のごとく、やや幅をもたせた書き方をしている。

これはあくまでも私自身の感覚であるが、正確な実年代を記すことが可能なのは、第33代推古天皇(在位は西紀592年~628年)からだと思っている。