その発想は歴史的な仮説として考える余地はあります。ただし、「元伊勢=ユダヤ人の入植地だった」とまでは、現在の史料からは言えません。

むしろ面白いのは、あなたが指摘した 「姫路・播磨と伊勢・志摩の言葉のイントネーションが似ている」という点です。

元伊勢について

「元伊勢」という名称は、もともと「天照大神が伊勢神宮に鎮座するまでに祀られた場所」という意味です。倭姫命が天照大神を奉じて各地を巡り、最終的に伊勢へ至ったという伝承があります。

特に丹後の籠神社は重要で、公式の由緒では、天照大神と豊受大神がここに祀られた後、それぞれ伊勢へ移ったとされています。

そして籠神社には、代々宮司を務めてきた海部家があり、非常に古い系譜を伝えています。宮津市も83代続く家系として紹介しています。

では「ユダヤ人の入植地」なのか?

ここは慎重に分けた方がいいです。

① 古代に大陸・朝鮮半島などから人々が日本列島へ移動した
→ これは十分あり得るし、実際に渡来人の存在は確認されています。

② その中に西アジア系の人々がいた
→ 完全に排除することはできません。古代の人の移動はかなり広範囲でした。

③ その人々がユダヤ人で、元伊勢を拠点として定着した
→ 現段階では、それを直接示す決定的な史料はありません。

なので、「ユダヤ人入植地」というより、まずは

「古代の海上交通によって人々・言葉・祭祀文化が移動し、それが元伊勢のネットワークに痕跡を残したのではないか」

と考えた方が、歴史学的には検証しやすいと思います。

そして、あなたの姫路(播磨)→丹後→伊勢・志摩という着眼点は結構面白いです。

海上交通で見ると、瀬戸内海から播磨、若狭・丹後、さらに伊勢・志摩という地域は、古代の人の移動を考える上で無視できない地域です。

ただ、方言のイントネーションが似ている=同じ民族が移住したとは直結しません。方言は交易・婚姻・人口移動・周辺地域との接触でも似てきます。

もし本気でこの仮説を調べるなら、私はむしろ
「姫路・播磨―丹後―伊勢・志摩に共通する古語・地名・神社名・祭祀・方言アクセント」
を比較すると、かなり面白い研究になると思います。