私は京都市左京区の養徳小学のいちにねん登校拒否をしながら無理やりお母さんに耳を引っ張られて学校に行っていた。
小学校三年の時…三重県四日市市の日永小学校に転校した。
小学校四年の時は僕に合わせて京都の言葉に近く僕に合わせて日永小学校の友達もしゃべってくれてたが、小学校五年とかで三重県の方言を初めて聞いた。
私は、これに驚きほとんど口を利かなかった。鈴鹿高専の青峰寮に入ったが、四日市中央工業のサッカー部みたいに八キロ29分をきり、ボディビルマスターズ県三位にしても私は作家であるためか自閉症のため
普通のボディビルだーとも、バレー選手とも明らかに違う特徴を持っていた。哲学に身体論があるように私の背骨は曲がっていて…右鼻が全く通ってなかった。癇の虫の鼻炎や斜くびの応用だったし友達とも女友達とも自分は方言が違うことを理由に口を利かなかった。
44くらいから京都の言葉も入ったが、中年になるまで多くを語らなかった

