京都の下町で、僕の生まれる頃まで着物を着ていたというお母さんは、4歳で弟が生まれて弟の世話に忙しくなり、私に冷たくなった。
3部屋だけの社宅に家族五人住んでいたが、小学生でも四年くらいに私がなると、別の部屋で寝ようとしてると、お母さんは父に
あつかいにくなってきとる
と言った。
そのころは、ふすまだから部屋に鍵などかからず、もえー、と1人でこすってると用があってお母さんがふすまを開け、
私は、あわててこたつ布団で陰部を隠した。
部屋入る時くらいノックせー
何故ふすまにノックするのだろう?
ふすまが、へちがむ…
お姉ちゃんは、初潮があってからは赤飯も食べた覚えはないが、お姉ちゃんとケンカして髪の毛を引っ張っても
何故か泣いた。
怒っていたお姉ちゃんが、?わからなかった。
京都の社宅では、溝掃除というのがあって、シュウに何回か、ブラシでふたが当時なかったどぶの掃除をしていた。
しかし溝なんか、そんな汚れない。今は一年に一度ぐらいふたを開けて泥を町内会で上げるぐらいだろう
軍隊のようなその姿に
何故こんなことをするのかわからなかった。
小さい頃は、私がコップを割ると、お母さんは睨み付けて、しゃべっては注意しないが、コップを割ることが何を意味するのかは、その頃説明できなかったが、
お母さんは
お父さんがはたらかんだら、ご飯も食べられへんのやで
とか
食べられなくなったら、若いあんたらを、残してお母さんとお父さんは死ぬと笑って言っていたお母さんが、
懐かしい
お母さんは、ちり紙をねじって、こよりをよく作っていた。
耳掻きの代わりなのか忘れたが、
お母さんは私が悪いことをすると、足袋をはいていたでか、足の指でつねってしかってきた。
屋根に庭球を投げて、落ちて来る間に呼んだこが、庭球を取らなきゃいけない遊びで血を友達に出さしてしまった。
社宅で
何でちぃ出とん?
とお母さんに聞かれ、私が悪いのに○○君がやった
と嘘をついとしまった。
後でわかってお母さんは恥ずかしく安全なおいどを長いこと何度も叩き続けた。
我が子に嘘などつく大人になってほしくない!とこの子がわかるまで
その後つぶれた京都工場だが、近所の人に白い目で見られたら生きていけない。なんとか生きて行けるまで私のおいどを叩き続けた。
川でおサルを殴って血を出させた。
こけたと言えよ!とおとなしいおサルに口止めして月日は流れた。
京都の男の挨拶は
あほんだら(おんどら)しばいたろか!
で
そう言うと友は
おんどら!しばいたろか!
と言った
おんどら!
しばいたろか!

