私の父は、18で大阪に出て


戦争後の焼け野はら、日本人の考え方自体の大変化、があったにも関わらず、





赤線と赤狩り、もあったであろう大阪を生きた。



父は、男前ながら純粋な人で年をとっても、


世の中の8割の人は、いい人だ


と言っていた。




父は、大阪で24歳くらいかで母(おばあちゃん)を亡くし、私も父方の祖母は、写真でしか知らない。




父は、昔は強かった繊維業界の企業で、大阪の丸ビルに出入りしてたらしい。




もちろん、繊維産業は、落ち目だった。



私の小さい頃は、テレビコマーシャルでも





カーンカーンカネボウ!


赤ちゃんの時からカネボウ毛糸!



というコマーシャルが流せる程だったが、




父は、大阪は本部だから潰れてはいないだろうが、滋賀県の彦根工場に転勤になった。





母は死に、高卒は父だけながら、大企業に入れたけど、みんな大卒で父は、どれだけ悔しかっただろう。



父は、電車の中で人前で泣いた。




彦根で父は今の私の母と結婚したが、母も父親を若くして亡くし、父にとっての一番近い異性は妻の母で、母にとっての一番近い異性は父となった。




彦根は、雪も多い。


父と母の二人の社宅で、父が仕事に行くと母は一人だった。





遠く、親元を離れて彦根の父の元に飛び込んだ母




父は





寂しいやろう?




と当時テレビを持っている人など少ないと思うがテレビを買ってやった。母は、







嬉しかった



と言っていた。



今の人は、信じられないと思うのだが、私が小学校の時だったが、学校に行く前の朝ごはんの時




食べられなくなったら、どうしよ?



と言ったので


私は、黙ってると母か父か忘れたが、


あんたらは、若いから、お父さんとお母さんは、あんたらに食べ物を与えて死ぬ







と言った










私も独立したが、独立して思うのは、私にあまりにもエネルギーがあふれ、元気なことと疲れない、という変わったとこだ。






こんだけの苦労した家族と、流れ着いた三重県の人と私の違いを、やっぱり引っ越した所は、関西が多かったし、私は京都で生まれたので、関西との違いだろう?とか京都は古い都やでかな?とはよく思った。






しかし、三重県にも家族愛のあったような家のこは見受けられたし、年取った人で考え方の似た人はいた。







ただ、持論としては関東からの引っ越しだが、そのこは優秀だったし、大阪に出たような親のこは、優秀な人が多いような気がした。






そして当人が大阪に出た本人とかだと、やっぱり苦労と根性を伴っていたのと





女の取り方がわかっていた