あまりの文学的才能と回り道
小4で日本トップの漫画の原作の書けた私。
でも、恥ずかしくてビックリして発表しなかった。
そう。恥ずかしいと言えば、小2まで投稿拒否で、無理矢理行かされないで、家にいたらどうなってただろう?と時々思う。
腰骨の歪んでた僕は、小三までいた京都時代でも、首が凝ってきたら、不自然に首を曲げていたのを覚えている。
題に回り道と出てくるが、僕が回り道をしたのは、
身体的欠陥に依る、もある。
腰骨は曲がっていて、鼻は鼻炎。右の鼻の穴は、ほとんど鼻閉で通らなかった。
今の分析では、腰骨の歪みは、左倒しの女座りだけでなく、女座りでも腰骨の真っ直ぐな人はおり、右鼻の鼻閉が影響してると考えている。
弟は、肌が悪く中学の時ひどいニキビだった。
父は、十二指腸が悪く悩んでいた。
私は、鼻が悪かったというわけだ。
高見家の男は、優秀だが気が弱く、弟は、生徒会長だったが、リーダーシップがあったが、気が弱いのか、完全にまとめたいのか、その学年の生徒はよくまとまっていたという。
父は、女性社員の多い会社だったが、大苦労しているのに優しく、子育てに一切口を挟まなかった。
しかし、貧乏ながら金と労力を子に尽くし、結婚しても姉は、父に頭が上がらずうなだれる。
私は、勉強は普通だったが、一人部屋を与えられてから出来だし、作家なのか?学者なのか?
小学校の時から、三角関数の研究に関することを朝早く目覚めると急にしていた。
私は、弟や父に比べると子は一人で、弟や父の三人より少ない。
しかし、学校では運動も勉強も出来、活躍していた。
でも、肌と十二指腸と鼻が悪かった弟と父と私。(順番に悪い所と人物)
私には、もっと悪条件が重なった。
故郷の喪失。播磨べんの父。三重弁の弟。
私は、方言の悩みから50の今も自然にしゃべれず、標準語でしゃべれば普通にしゃべれるのに30過ぎまで、ほとんどしゃべらず、33位から三重弁を無理矢理しゃべったが、無理矢理過ぎておかしく、43位から京都弁と三重弁をあわせてしゃべったが、もちろんおかしくて、50の今九州弁のようにしゃべっている。
私は、鼻が悪く腰骨が曲がり、投稿拒否だったし、真面目な努力家ではあったが、方言のコンプレックスは、親にも言えず、ドツボにはまった。
50で標準語でしゃべれば普通と確信し関西で標準語を使ってると気取ってるように見られるが、ここは三重県だ。しかも、精神病が治るのだ。
長いこと僕のしゃべり方がおかしいのは鼻の悪いせいと思っていた。
最近、鼻の調子がいいのもあるが標準語でしゃべれば普通なのだ。
故郷の喪失。それは京都弁ぽくしゃべると、幼児語で、三重弁でしゃべればバカにしたようなしゃべり方になるのだ。
思春期の性の悩みから哲学を勉強した私は、いじめられたりもした。
しかし、どこかであまりの文学的才能があったのでわざといじめられてた。
精神病でも、わざとというか、治る自信というか、どこかで違うと思っていた。
変わった人、ヤクザのようでも、犯罪者のようでもあったが、どこかで自信はあった。
努力家だったのとあまりにも素晴らしい文学が書けてたから。
エリートなのは、悩みでもあったが、生活保護、妻に刺されるなど経験して、回り道は地球一周くらい。
あまりの才能に神が苦難を与えたのか?あまりの遅咲き。繊細すぎた私は、あまりの苦難に何事にも動じない天然のように。
あまりの文学的才能と回り道。
鼻は、結婚し治り、方言は標準語を使うことで治り、腰骨の歪みは、左右差は、意図的(わざと)になると言われ、文学の創作に有利だ。もともと思想家と努力家だった私。
回り道したが、仕事しながら文学作品を明日から作ろう。
高専の悔しさは博士号と写真の肉体で見返した。
友は死に
友を一生入院にしたが、
人生にそれくらいあるさ

