
毎日、ブログを読むなか、体力作りと先祖を説く伊勢白山道の努力の教えが、好きだった。
でも、覚者阿部敏郎のブログも読んでいた。
一軒家を買ってから、悩むに悩めないいい家に、きれいで大きな家も、いいなと思っていた。
しかし、僕は古い家でも、きれいに掃除して掃除して、住むべきだと思っていて、大きなきれいな家に住むのは、妻昭子の発案だった。
いい家に住んでいると悩まない疲れてない小説家のような発案になっていき、体は鍛えるもののリラックスしていった。
リラックスすると至福や愛を垣間見ることも、多くなった。
宗教家のいう真理真理というものが、こんなにも素晴らしいから言ってるんだなと思った。
ところで、私は疲れた思想家で、努力しない妻と正反対の性格だった。
妻は、トイレの臭い嫌さを越えるオシッコのしたさがないとオシッコに行かず、つまりオシッコにあまり行かなかった。
私は、オシッコばっか行っていた。
妻は、鼻がよく私は、鼻が悪かった。妻は、体の左右のバランスが取れていてパンダ座りだった。私は、左右のバランスがなく、椅子に座った。
リラックスしていると愛と至福に入り、幸せだった。
妻は、いつもリラックスしているようで、考えた。
妻は、いつも愛と至福なのか?
努力しないアホの妻は、よく怖いといい、怖いという不安はあった。
しかし、これにより妻が理解できた。
死ぬのを怖くないという妻は、今しかない。
今を崩したくない。思想だ。
努力は、自主的には絶対しないが、言われたらする。
これも今しかない。今を崩したくないからだ。
人の悪いことも言わない妻は、今が一番よく、リラックスしてて今が最高なのだ。
大きい病気をしてないからだ、と思っていたが、この思想には死の怖さはない。
しかし、自主的に努力せず、知識がなく無知で、無知なことは怖いとよく思うようだ。
啓蒙は、暗きを開くで、有識は怖いことは少ない。
妻には、アドバイスが必要で、今最高でも、とても人間じゃない生活にほっといたら、なってしまう。
しかし、勉強の努力には、優越感や人のことをいうような努力は、苦痛で人をしたに見る快感がないと出来ない。
左右のバランスの取れてないバランスを失ったような首をひねるような問題意識が、必要であり、問題意識で思い出したが、悟った人に問題意識はない。
今ここ
とは死の恐怖はなくなり、問題意識すらなくなるが、
愛のために知恵を
知恵のために愛を
じゃないが、勉強には、問題意識が要り、悟った人も初めは、問題意識を持って勉強もしたのだ。
勉強のない今ここの死の恐怖のなさも、いろんなわからんことは怖く、勉強してから悟るべきで、ただ悟っても恐い。
ただ、愛と至福、今ここの最高、死の恐怖のなさは素晴らしい思想で、出来たらそうなりたい。
いろんなやることがあるので、アドバイスしながらやって行こう!
