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神経質な私は、鼻の鼻閉による変わったしゃべり方をバカにされた。


努力家がで、いつもクラスのトップグループに次いで二位だった僕は、しゃべり方が、異常で、勉強運動クラスのトップグループに次いで二位なのにバカにされたからバカにした。

京都でも、クラスのトップグループではないが、勉強運動共に普通で、ドッチボールなど特別できるのもあった。


四日市市に転校すると、転校生と特別もてはやされ、活躍しだした。


そこでの妄想は、

京都での僕はなんだ?ダメ人間だ。

四日市の僕はなんだ?優等生だ。しかし、みんなが僕をあやつって、クラスの人気者にしてるのではないか?
これを当時、考えるとドツボにはまり、相当悩んだ。



努力家ではあったので、中学では一番厳しいクラブに入り、努力した。


しかし、厳しさのためか?恩を受けた四日市を全く逆にバカにしだした。



バカにすると、バカにされた。


バカにしながら、想像を絶する厳しい寮に入った。




悲惨な目に合った。ただでさえ地獄の12時間労働勉強運動の中、俺は京都出身だ。


お前らとは違う!

と人をバカにしていた。人をコントロールしようと想像を絶する厳しさの中、無茶苦茶にいじめられた。




その頃は、今ほどいじめは、問題になっておらず、いじめられる側にも問題はあるという思想で、戦時中のような女なら兵隊さんに回される従軍慰安婦のような目に合った。


悲惨というか、絶望でもない人間が、人間扱いされない差別という問題を知った。



鼻の手術、故郷を求めて、生活保護の1/3で大津で生活した。





ボットン便所にウジ虫とぎょう虫が沸いているような心で、四日市に帰った。


原始音楽論を発狂の寸前に書いたが、地獄は続いた。


精神病院入院、デイケア、悲惨極まりない僕に、犯罪めいた誘いもあって、抗精神病薬による陰性反応による気の弱り、




これだけ、苦労した僕は、精神病院で実に


坊っちゃん


と言われた。よく、一人っ子か?と聞かれた。







これだけの異常にとどまらず、シンナーによる幻聴の妻と結婚し、親も先生も反対する子を産んで、別居している。





生活保護からマイホームを持つに至った僕は、精神病院をバカにし出し、僕に敗けていった患者は、


自殺したり、自殺未遂、一生入院へと追い込まれた。



私の信じるものは、悲惨な目に合って努力した者は、ただ精神病になって、生活保護にもならず、子がいるのに親と同居してて、親が死んだあと自殺しようと何しようと、私の知ったことじゃないというか、一生入院になった人は、私が直接的に関わったが、自殺したらしい人は、私の正統的な脅しで、自殺したのではないかもしれないし、わからない。





行くとこ行くとこで、勝って来たようで、マイホームを持とうと、人をバカにし続ける私。







私の異常な努力は、人をバカにする快感と裏腹であり、神経質と共に、永遠に救われない。