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ドイツのブログ

私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

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先のブログとは、ちょっと違い、友の家に行ってきて、気分はちょっと変わった。
 
 
 
悲惨な運命、ということで前の「宿命、二番目の子」を参照してほしいが、試練の大きいのは、三人以上の兄弟の二番目の子(四人兄弟なら、三番目でもよく、五人兄弟なら、二三四人目の子で、とにかく間に挟まれた子)これの試練は、大きい。しかも、同性の兄弟がいると、同性というのはライバルで余計、試練は大きい。なぜかというと書いたように、間に挟まれた子は、末っ子のように甘えられず、一番上の子のようにのほほんとはしていられないからだ。一人っ子は、わがままと言われないよう、言われないよう、いくら頑張っても、宿命的、原理的に、一人っ子で、わがままになるものだ。どうしようもない。
 
 
 
そして、ペケポン、で書いた父は、四人兄弟の二番目の子であり、母は四人兄弟の三番目の子であり、私は、その間に生まれた三人兄弟の二番目の子なのだ。
 
 
 
 
間に挟まれた子が、試練なのか?わざわざ修行しようと試練を選ぶのか?
 
 
父は、18で大阪へ出、母は22で、兵庫県から滋賀県へ嫁に出た。
 
 
 
私も、15で全寮制の厳しい厳しい高校へ出た。
 
試練の兄弟関係は、人生においても、試練を選ぶのか?
 
 
 
 
 
また、私は三重県弁と京都弁の混在がある。
 
 
 
 
 
姉は、11歳で京都から三重に越し、関西に25で嫁いだが、今は完全な関西弁でアイデンティティークライシスは、脱した。弟は、わずか京都にはいたが、京都のことはほとんど記憶になく、四日市弁で全くクライシスはない。
 
 
 
 
国が、違う人種が違うなどのアイデンティティークライシスは、それはそれは大変だと思う。
 
 
 
 
しかし、県でも大変で京都の友達やって、三重に越した同級生は、事件を起こし、未だ結婚していない。
 
 
 
八歳で関東から引っ越して来た同級生は、高校を辞め、標準語を三重県で使いだし、喫茶店を回りながら、関東風の生活をし出した。親は、菓子屋の社長であり、親のコネで、高校に入り直し、学問でなく、高卒の免許を修め、社長を継ぐのかもしれない。
 
 
しかし、高校に入り直したあとは、完全な三重県弁になっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
このような人間の試練は、何を産み出すか?
 
 
 
 
 
 
 
 
破れかぶれか?死ぬ気か?死の覚ごかを?
 
 
 
尾崎豊の
 
 
自分の存在が、なんなのかすら、わからず震えている
 
 
 
 
 
という歌詞も、あの人は、東京に生まれたものの埼玉かどこかに越し、ちょっと大きくなってから、東京に戻った。
 
 
 
アイデンティティークライシスといってよいのではないか?
 
 
 
 
試練が、産み出すものは、根性か?生活保護か?
 
 
 
 
 
否、否、否。
 
 
 
 
優秀さか?
 
 
 
 
 
 
 
それらもあるが、
 
 
 
 
私は、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それでもいいよ
 
 
 
 
 
 
 
だと書いてはおこう。
 
 
 
 
人間が、誰に反対されようと、言いたいやつに言われていようと、本当の幸せを求めて
 
 
 
 
 
 
それでもいいよ、
 
 
 
 
 
 
と信じる道を行くところではないだろうか?
 
 
 
 
それでもいいよと脇目もふらず、それでもいいよ、と信じる道を行こう