文化の段階
文化とは、
宗教
文学
音楽
に関わらず
例えば、音楽でもクラシックも、ポップスも問わない。
私が、甲斐バンドのファンだったのは、有名?で甲斐よしひろにしても、初めは、みずみずしい詞を書いていた。
自らの怒りと性欲と故郷への思い溢れる、しかし、どこか断片的で、全ての言葉を網羅してない詩だった。
しかし、全ての言葉。
言い表せる言葉の全ては、使っているが、どこか形式的、否、売れるため、受けるための詞を書き出した。
その時の、『ヒーロー(ヒーローになるとき、それは今)』は、一番売れたが、
それをきっかけに甲斐バンドを聞き出した私だったが、過去にみずみずしい愛情溢れる曲を見いだした。
そして、形骸化。これで、音楽家、作家、
もっと言えば、フォークがそうだったよう、その文化は終わる。
フォーク
考えても、見たまえ!
『私たちの望むものは』のころのみずみずしいさ、勢い。
素晴らしかった。
やがて、円熟期に売れるため、受けるためのフォークは受けた。
しかし、やはり形骸化。
そして、終わる。
私たちの望むものは』を考えると、みずみずしくはあるが、危なかった。危険分子のような危なさがあった。
みずみずしさ
円熟期
形骸化
は、どの文化にも見られ、始めに書いた宗教でも、今一番多い浄土真宗の親鸞でも、鎌倉時代
とんでもない、
と島流しに会った。
宗教も、みずみずしいとき、危なかったのだ
今のゲーム文化は、みずみずしい危ない時期だろう。
漫画は、円熟期といったどころか?
クラシックでも、みずみずしい、円熟期、形骸化を経ている。
フォークが、演奏されるだけ。クラシックが演奏されるだけのようにロックも、今、形骸化しつつあり終わるだろう。
そして、演奏されるだけになるのだ。
これは、国にも言え、日本は、バブルの後、世界の道義的な大国になろうとしている。
アメリカは、バブルの後世界の警察になったが、日本の道義性とは、親切。お辞儀に代表される謙虚であり、日本はリーダーシップを発揮し、道義として、謙虚を世界に広めねばならない。
天皇という手紙を渡しただけで議員の処分される奥ゆかしさ、謙虚、悪く言えば、遠回しの言い方、よく言えば、謙虚、礼儀正しさを世界に広めるだろう。
このようなことを書くのは、私の文章が、読まれるため、受け狙いになってきたからで、
本来のみずみずしさは、失われてきた。
寒い週末です。
皆様
お風邪など引かれないよう、ぬくたくして
お過ごしください。
