お父さん。 | ドイツのブログ

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私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

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娘を預けているエスペランス四日市の幼児部の玄関にお菓子のいっぱい入った箱を届けてきた。
 
 
11月1日より、娘が乳児部より、幼児部に変わるからだ。
 
 
タイガーマスクではないけれど、気は楽になった。
 
タイガーマスクに子は、いなかったが、エスペランスには、ボクシングのリングがあって、有名なボクサーも、教えに来たことがある。
 
 
 
 
私も、世界チャンピオンとかではないが、スポーツマンとして、度を越えた鍛え方は、したことがある。
 
 
 
 
寒風、吹き荒ぶ夜の四日市は寒かった。 
 
 
お父さん(私)は、勉強も博士号までしたが、スポーツも、日曜日も休まず、クラブ活動をし、高校も野球をしてたよ。
 
 
 
 
 
夜の四日市を走って、娘の寝とる灯りを見ると、いつも、思うことがある。
 
 
 
私のお父さん(娘には、おじいちゃんに当たる)が、一時荒れた私を十時間働いたあと、娯楽のない私をドライブに連れてってくれていた夜の闇だ。
 
 
日本の高度成長のため、働き続けたおじいちゃんに待っていたのは、バブルの繁栄ではなく、息子の荒れだった。
 
 
 
 
子育てに関与する間もなく、働き続けたおじいちゃん。
 
 
お母さんも、お父さんも死に、見知らぬ土地にきて、住めば都と家まで買った四日市に見たのは、息子の荒れだった。
 
 
 
 
おじいちゃんは、ひいおじいちゃんが死んだとき涙を浮かべ
 
 
 
 
 
悲しい
 
 
 
と言った。
 
 
 
 
しかも、大阪に出た結果流れ着いた四日市から、父親の死に自分の車を運転して帰った姫路だった。
 
 
 
 
悲しい
 
 
の声におじいちゃんの悲しいは、何か違うと思った。ボケ老人の世話をせずに済んだ次男やでかなとも思ったが、
 
 
 
子がいて、新しい家族があって、しかも、独立してても、小さいとき育ててくれた肉親の死は
 
 
 
悲しい、と。
 
 
 
 
 
そして、親というものは、子のためなら全精力を傾けるものだし、子のためになったとき
 
 
 
 
嬉しい
 
 
 
 
私も、子の生まれる前は、いわば本気を出さず、躊躇していた。
 
 
 
 
 
言い訳が、効いたのだ。
 
そんなことをいってれないどころか責任を伴った。
 
 
 
 
おじいちゃんが、子を乗せて、車を走らせた夜の闇と、私が娘の寝とる灯りを見ながら、原付を走らせる夜の闇は、
 
 
 
一緒だろうか?