意識的な作家 | ドイツのブログ

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私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

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作家と言われる人の生活、人生は、意識的で文学は、言葉の芸術と呼ばれる。
 
 
 
私は、美人だ。と思いなさい!と言っていた脚本家がいたが、その人は明るく映ったが、内面は、私のように暗い?暗いというと言い過ぎだが、少なくとも、意識的でズルいと言っては、言い過ぎだが、作家な以上意識的ではあるんだろうなと思った。
 
 
 
 
 
 
 
作家という以上な人間は、何事も意識的にする。
 
 
意識というのは、言葉で思いながら、思い付きながら、するものだ。
 
 
 
 
わかりやすく、面白くいうなら、勃起!と言うものも、意識的には、勃起はしないが、作家というのは、勃起しても後から、何で勃起したか、(ああ、さっきおっぱいが近くに見えたな)などと後から理由付けしているものだ。
 
 
 
 
 
 
なんとなく、生かされてる。と言った人がいたが、それも、なんとなくの中から、出た言葉で、作家のように考えて出た言葉ではないだろう!
 
 
 
 
 
 
今日は、畳を雑巾でふいたあと、嫁と緑地でバレーして、昼からは、嫁と一緒に風呂にはいった。
 
 
 
そのあと、中古の家を私は、買おうとしているのだが、嫁は反対し、説得しに、嫁の入院している病棟に行ってきた。
 
 
 
 
 
 
考えて、生活する作家に「一日の反省」は必要だ。
意識して、発言する以上、その日にあった事を、反省、反芻せねばならないからだ。
 
 
 
 
 
夜は、クラシックを聞きながら半ば瞑想のように一日にあった事を反省、反芻した。
 
 
 
 
テレビもゲームもせず、作家は、一日の経験を反芻する。
 
 
 
 
 
多くの時間は、
筋トレやお経を上げることに費やされた。
 
 
 
 
 
様々な、経験、思索を通しての成果は、
以外にも、
占いの的中率とギャグの面白さだった。
 
 
 
 
 
 
 
私は、占いが当てれたし、ギャグは受けた。
 
 
 
 
 
一日の経験を反芻することは、自分の幸せのためではあったが、成果としては、幸せとは言えず、ギャグや占いが当たることに、成果としては出ていた。