特異点 | ドイツのブログ

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私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

喧嘩に勝つのでもなく、「そんなことでええ思とんのか」とけなすのでもなく、誉めると言うのではないが、人に勝つ特異点。誉めるとか、祝福とかいうのがいい(よかったですね。おめでとうなど)ではない特異点。
 
 
例えば、世間で何も言わなかったら、誰も何も言ってこない。言ってくる人などいない。
 
 
 
それなら、何故世の中は進行するのか?ということになってくる。何も言わないで原始状態のまま世の中は進まなかった。
 
 
どこで、どう間違えたのか?否、原始の生活がいいだろうか?洞窟に住み、マンモスを追う。
 
 
 
それもよかっただろう。
 
しかし、世の中は便利さを求めた。
 
 
 
分業、外部化に代表される(土器職人は、土器作りの分業であり、家族で行っていた土器作りの家族機能の「外部化」だ。
 
 
 
 
 
一旦、便利さに流れた世の中。分かりやすく言えば、今死んでも、若くして死んでも、何が悪い?病気で死んだなら、病気なんだからしょうがないじゃないか?その前に運動して健康作りに励むべきだった?否、それなら、自殺。自殺は、どうなるのか?心が病んでいたのか?あまりにもの人間関係の苦労か?そういうより、体の病気で死ぬように精神の病気だと言い出しているのだ。
 
 
実は、これも便利さの追及であり、薬という外部からの摂取に拠って、楽に生きる(便利さの追及なのだ)薬というのは、精神に作用させる外部の化学的に作られた物質で、いわば精神の外部化であり、精神問題の分業(精神科医)だ。人間は、原始を捨て便利さのため分業と外部化を発展させた。病院で死ぬのも分業(医者)であり外部化(病院)だ。昔は、医者は、お母さんの仕事だった。このように分業、外部化。そして、始めに書いた「何も言わなかったら、何も言われない。」を考えると見えてくるものがある。
 
 
先に書くなら、便利にはストレスが伴う、であり、例えば我々がもし、四本足で動物のように走っていると想像してみたまえ!
 
 
それは何と豪快で猛々しくストレスなど微塵もないのではないか?
 
 
 
直立二足歩行(立って歩く)は、言語・宗教・遊ぶことをする・知恵などを産み出したというが(勝の遺産)ストレスという負の遺産も産み出したのだ。
 
 
 
 
例えば、言語の会得は、宗教を産み出したというが、
 
 
「お前はマンモスを向こうから追え、吾はこちらから追う。挟み撃ちにして食べよう」
 
 
 
これは、何か思い出しません?
 
 
そう、分業なのだ。
 
 
 
言語というもの自体、感情を表情で表しといたのに、言葉で表すといういわば分業であり、発声して遠くに届ける外部化だ。
 
 
外部化と分業は、便利にはなるがそれにはストレスが伴う。(喋ると疲れるしょぼんハートブレイク)
 
 
 
便利さを追い求める発展社会において、祝福は大事だが「人の不幸は蜜の味」なのが、現実だ。
 
 
 
特異点
 
 
 
 
とは、人の不幸を(ウッシッシ)と思うが、決して口に出さず、祝福の声を心と裏腹に上げ、
 
 
これを書くと、悪い人のよいだが現実の世の中を生きた生活の知恵であり、宗教(幸福の科学などでない)現実を生きる知恵「人間の科学」だ。