もとよめ | ドイツのブログ

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私が、博士号を取り、子供と同居し、芸能人になるまでを描きます。

元嫁には、人間らしいところが、日と欠片もなかった。僕を殴るか、金を使うか、性を拒むか。人格の解体という精神病がそうさせていたらしい。
 
 
 
人格の解体の特徴は、会話が出来ないところと、えらいことができないことだったが、言葉でいうのは、簡単だが、それはどれだけのものか?
 
 
 
やくざと生活してるのと同じであり、僕と住む前は、お化け屋敷のアパートで生活保護で暮らしていた。えらいことができないとは、努力は一切出来なかった。それがどれだけのものか?それは警察を呼ぶか金を使ってるかだった。元嫁の目は往っていた。
 
 
連れ合いに正反対の人を選ぶというが、私は常軌を逸した努力家で勉強家で(えらいことができない、努力できないの反対)言葉が全てのような作家(会話が出来ない、言葉がないの反対)だった。15で寮に出た私は、肺炎になるまで走り、気管支炎になるまで走るという常軌を逸した努力家だった。頭は、それほどよくなかったが、10年以上の独学と研究は、博士号、という太鼓判を押された。私は、えらくないと我慢出来ない質だった。高専に受からず、四日市工業に行っていても、当時四キロ離れていた高校まで走って登下校することを夢見ていた。えらくないとダメな質。一方は、えらいことができない質。
 
言葉が全ての作家、一方は幻聴と妄想の中に生きる元嫁。
 
 
 
 
私は、寝ないで精神病の睡眠剤をなくし、充実を本意とする努力家。元嫁は、睡眠剤がないと寝れず、努力出来なかった。元嫁は「ご飯食べてセックスしとるだけやったら、何であかんの?」とは言えたが、一切の努力を放棄しお化け屋敷に住んでいたし、洗濯も掃除も料理もしなかった。私が洗濯も掃除も料理もしていた。こういう相矛盾する夫婦はいた。元嫁の言うことを聞いてたら、えらいことになったし、元嫁を理解しようとすると頭がおかしくなった。宗教で直す気はないと言った元嫁。私は、今は宗教のブログは、いい話として読んでいる。宗教と現実は違う。精神病の存在を認める国の方が、精神病の存在を認めない稚拙な幸福の科学より、もちろん立派だ。狂気と妄想と幻聴は人間に存在する。歴史の中に一石を投じる宗教や思想。その中で人間の歴史は形作られ、人間の限界の中でも、甘えた人の中でも、世間は進行する。(また、根性の在処でも書こうと思う)