春に、冬の深刻さはない。季節の恵みにただ季節の偉大さを感じるばかり。例えば、冬プールに二度行き、夜も外に出ていた私が、春暖かくなると、水温みプールへは一度だけ夜も外に出ない私がいた。人の愛を受けたかのような錯覚。否春が来たのだ。暖かくなったのだ。人に認められたのかと思った。否春が来たのだ。そして、人生の季節というものにも考えが及んだのか…例えば、青春時代の青春中心の考え。スポーツ選手として活躍できるのは青春時代の年の人だし、惑う青春は一番大変でもあるのではないか?と考える。しかし、晩年にバリバリ働くという言葉があるように晩年が大変で、青春時代はバリバリ働くために勉強してるのだという考えに変わる。きっと感謝に代表される老年にも老年が一番大変という考えに変わるのではないか。また、子供時代は、子供時代が一番大変だと思っていたのではないか。
そして、親が死に怯えきっている入院してる人や、親が死に自殺した人や、これから親の死を迎えるであろう人や、親が死んでも元気な人やに考えが及んだ。そして、子のために体の使い方を考え、再婚、仕事を考える人々が中心に考える思想。親子より、夫婦愛や家族愛のため、再婚仕事を考える人の気持ちがわかった。