一流の人も、平凡だ。平凡といってよい。
一流の人も、平凡からの出発を余儀なくされる。
例えば、東大生も、東大生の群れに入ると「せっかく、天下国家を語れると思ったのに…」と落胆するという。
私は、三重大を受けたが、例えば、三重大生の中に入っても、ただの学生だ、人じゃないか!と落胆(?)ではないが、思うだろう。どんな、偉い人にも、怖い奥さんがいて、奥さん以外との関係は、持てず、ただの人だ。
一流でも、平凡からの出発を余儀なくされず、あまりのエネルギーは、誤解を生むほどだ。
一流、それも、何事かを始めた初代、その苦労は、計り知れないが、何事かを始めた一流の初代にあるのは、平凡からの出発だ。
親の金で、二流大学を出て、なんぼのもんや、と言いたくても、口に出来ない。これは、一言でいうと、一流の人は、臆病だと言える。
向いたことをすることでは、二流だ。一流の人は、苦難に立ち向かい、しかも、臆病で、勉強したことを意思力、度胸に変えるものだ。女に「かわいい」と言われるくらいで、ちょうどいい。
甲斐よしひろは、その『思春期』の中で、こう歌った。
時の振り子に腰を掛け
興味ない話に頷く
そんな僕に
そんな僕に
ドラマは、要らない
と・…
どんな一流にも、ドラマはない。そこにあるのは、平凡、平凡からの出発だ。
タフと驚きやすさを携えて、
さあ、平凡から出発せよ。
行けば、わかる。
母なる海が…