しかし、言っておこう。
政治は、警察などが取り締まる法律と、県、市町村などのお金だけを決めているのである。
そうなのだから、しょうがない。
経済、
それは、大部分の国のしている自由経済だ。
金は、哲学で交換できる価値で、価値とは、いいもの、いいことであり、健康以外の幸せさえ買えるようだ。
女も、買えるといえば買える。
食べ物も買える。
安全は、運転手を雇ったり、金庫を買ったり、セキュリティシステムを買ったら買える、が、
狙われる。
その丸く収めるために文化(題の三番目)があるのではないか?
常識、世の中、世間を広く生きるため。また、音楽文化、文学の文化など生活に潤いを与える。
安らぎ。それは、音楽の歌詞に同感したとき、メロディーの思春期での大感動、異常に不思議なメロディー。また、本の好きな人。知識が増え、一つ一つの経験にいろんなことの考えれる喜び。また、読書の知識で成功する喜び
。
しかし、これが本題ではない。
宗教だ。
今の私の考えを書くと、霊感のないものに、神仏は好影響も悪影響も、及ぼさないということだ。
私は、伊勢白山道のお祈りを一年以上、続けているが血を削る私の生活なのに、御神体を伊勢白山道の置くべき短冊でなく、自作の仏像(それは、伊勢白山道で悪霊が寄り付くとされる)にしても、お祈りの言葉は、長くて努力が上げるのに必要で、(それは、まるでいいことをしたようで)掃除、洗濯

ごみほりなど捗るし、よくなるばかりで、伊勢白山道で言われる悪霊の寄り付くなど、もちろんないばかりか、私は良くなって来たのだ。血を削る私の生活にも関わらず、だ。神仏は、霊感のないものに、好影響も悪影響も与えない。
それが、私の正直な感想だ。
信じる者は、救われる。
神は、神を信じる者にのみ存在し、
というより霊感のないものにとって宗教は、好影響も悪影響も与えない。
宗教学、風土論の云うところの宗教。
お経は、漢文の練習に過ぎず、祝詞は、古文の勉強に過ぎず、悟りは訪れず、奇跡も起こらない。
しかし、占い


を深く研究した私は、奇跡的なアテカタをすることはよくある。旧約聖書という神話で本当に神が、しゃべり、いいことをしたら生活が本当に救われた神話のように
新約聖書(キリスト誕生前後の聖書)のキリストが目の見えない人を治したように
私の事実だと思う奇跡的なことのもう一つは、雑誌『ムー』のようなことだ。
ムー大陸は、太平洋に浮かんでいた。女性の文明、芸術の文明として
アトランティス大陸は、プラトンに出てくるが、大西洋に浮かんでいた。
それは、マヤ文明が南米に遺跡として残っているが、その宇宙人の切ったと思われる石垣。ナスカの地上絵。太陽観測の文明であったと考えれるこの文字を持たないマヤ文明をみても、ムー、アトランティス各文明はあっただろう。
それと、ひらがな以前に神代文字があったというのは、戦争中のコクイ高揚だと思うが、日本の皇室の菊の紋章とユダヤ王家の紋章が同じだというのは、ユダヤ民族が秦(中国の始皇帝の国)を作ってから日本に来たのではないか?歴史の教科書の強い豪族が弱い豪族を滅ぼして、天皇になったのでも(ルソーの民約論の真似に過ぎない)『共同幻想論』の呪術的な天皇の起源でもなく、この三つを掛け合わせたかのようなものが、皇室の起源だと思う。
学会に受け入れられてないことで、最後に書けば、「いろは歌」と「般若心経」の天才の呪いの言葉
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らんういのおく
やまけふこへて
あさきゆめみし
よいもせす
この文尾を並べると
とかなくしてしぬ
咎、無くして死ぬ
という流罪に会った柿ノ本の人麿の作であり、呪いの言葉であるというのと、
空海の作でない
般若心経の
ぎゃあてい
ぎゃあてい
はーらーぎゃていはらそうぎゃあてい
というのが、鼻の大きな性欲強きクラマジュウが、性欲の罠にはめた当時の仏教会の権威への呪いの言葉だというのも、学会は考えるべきだ。
三蔵法師の訳でない