7月の聖書の言葉

「主はわたしを 青草の原に休ませ 憩いの水のほとり伴い魂を生き返らせてくださる。」

詩編232節~3

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。(中略)…命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。」  (詩編23編より)

聖書の中でも、旧約聖書の中にある「詩編」という書物は、キリスト教以前の、ユダヤ教の時代から数千年間にわたって、人々が神さまへの賛美を歌ってきた詩を150編集めた書物です。詩編は昔の人々から受け継がれている「祈りのことば集」と言い換えることができるでしょう。新約聖書を注意深く読んでみると、イエスさまやそのお弟子さんたちも、詩編の言葉を多く引用していることに気づかされます。

 

ところで今日の詩編23編は、この詩編の中でも私の大好きな詩の1つです。信者の方も、多くの方が好きな詩編の詩としてこの23編を挙げられます。この詩編23編は、神さまを「羊飼い」、私たち人間を「羊」にたとえて、神さまと人間の関係を「羊飼いと羊」の関係になぞらえてうたっている詩です。キリスト教では、羊は「柔和、忍耐、従順」の象徴で、人間の持つこれらの性格を象徴するものとしてよく用いられています。

 

しかし同時に私が特に注目していることは、羊の視力です。羊の聴力は優れており、視力に関しても視野は広いのですが、奥行きがあまり知覚できないのです。「近眼」と言っても良いかもしれません。ですから羊は先まで見通すことが難しいのです。影や地面のくぼみにひるんで先に進めないこともあるのです。このような特徴もまた人間の持つ性質の一つではないでしょうか。私たちはある程度先まで見通しているつもりですが、先のことまですべて把握して行動するのは意外に簡単ではないと思います。何か予想外の出来事が起これば、すぐにオロオロしてしまい、道に迷うのではないでしょうか。

 

そのように人間がオロオロとして道に迷ったり、道を見失ったりしてしまうときに、神さまは愛をもって私たちを正しい道へと導いてくださるのではないかと思います。たとえ不安や恐怖を覚えるような時でも、「あなた(神さま)が一緒にいてくださるから、私は恐れずに前へと進めます」と、この詩編23編はうたっているように感じます。

 

そして何より私が好きなフレーズは、「恵みと慈しみはいつもわたしを追う」というところです。私たちの主であるイエスさまは、私たちと一緒に歩いてくださっていますが、私たちの手を引いて前から私たちを無理矢理引っ張る方ではなく、むしろ私たちの後ろからそっとついてきてくださる方なのだと思います。私たちが悩みや不安を抱えて立ち止まりそうになるとき、イエスさまは私たちに力を与えてくださり、そっと私たちの背中を押してくださるのではないでしょうか。

7月8日 主日礼拝 午前10: 30から
8th of July (Whitsuntide 7th) Sunday Service 10:30am~

聖書箇所: 使徒言行録2章36節から42節
・Scripture: Acts 2:36~42

・説教題: 「救いの確信」
・Sermon: " Assurance of Salvation"

聖霊降臨に続くペトロの説教(2:14~42(40)、4部分から成る)の一部(四番目)。
ペトロの説教のまとめとそれに続く人々の反応と聖霊の働きによる洗礼について考えてみたいと思います。
今日は色々思うことがあったので、
さっき夜の礼拝堂に入って、
正面の十字架の上の灯りだけを付けて
少しボーっとして祈ってきました。

夜の礼拝堂に一人でいると、色々なことが頭をよぎります。
でも夜の礼拝堂は私を癒してくれます。
これはこの教会に限らず、私がお仕えしたことのある教会ではどこでもそうでした。



私たちは動いて働くことも必要ですが、立ち止まって静かに黙るときも必要なのでしょう。
沈黙の中に、聖霊の働きを感じることもあるのです。