8月の聖書の言葉
いかに幸いなことでしょう、あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。(詩編84編)
先月に引き続き、8月も詩編の言葉からメッセージを書かせていただきます。今日の詩編84編は、詩全体を「いかに幸いなことでしょう」という神さまをほめたたえる言葉が貫いています。この詩は、エルサレム神殿への巡礼の旅の中でうたわれたのではないかと考えられています。「あなたのいますところ」、「主(あなた)の庭」、「あなたの祭壇」、「あなたの家」、これらはすべてエルサレム神殿を暗示しています。聖書の時代に、神さまが姿を現されると考えられていたエルサレム神殿を参拝し、そこで祈ることが、どれほど幸せなことかが繰り返してうたわれています。
ところで私たちの人生はしばしば「旅」にたとえられます。どんなに移動手段が豊かになり、世界が小さくなったかのように感じられる今日でも、「旅」の途上では様々なこと、予想外のことが起こります。7月の詩編からのメッセージと同様に、やはり人間はその人生の歩みの中で、道を見失ったり、道に迷ったりすることが多々あるように思います。おそらく、若い時に自分の思い描いた通りの道を歩む人はまずいないのではないでしょうか。突然思いもかけない出来事によって、当初描いていた「人生の地図」が白紙になってしまい、頭を抱えてうずくまることもあるでしょう。
でもそんなときにこそ、私たちを愛してくださっている神さまを思い出していただきたいと願いうのです。イエスさまは、御自身が「神殿」であると言われ、またパウロさんは、「神は人間の手で造った神殿にはお住みにならない」、「あなたがたが神の神殿であり、神の霊が私たちの内に住んでいる」と教えられました。神さまは私たちと共にいてくださり、私たち一人ひとりの中に住んでおられるのです。道を見失ったり、道に迷ったりするときにこそ、「人間の手で造った神殿」をお参りするのではなく、私たちの中で働いてくださる神さまの声に耳を傾けて欲しいと願います。必ず進むべき道が示されます。必ず勇気が与えられ、心の中に「広い道」を見ることができます。