周船寺教会の牧師の仕事の一つとして、周船寺教会から設立された二つの幼稚園の
毎月のお便りで「聖書の言葉」を書いています。

キリスト教保育連盟が決めている毎月の「聖句(聖書の言葉)」をもとにして、
牧師が保護者を対象にしてメッセージを書くのです。
5月からこの「聖書の言葉」の文章をこのブログにも掲載したいと思います。

以下、「5月の聖書の言葉」です。

「『そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」(イザヤ書68)

 

 今日の聖書の言葉は、『こどもさんびか(改訂版)』の
「派遣と祝福(18)(1) にも記載されている「派遣の言葉」です。
周船寺教会の子どもの教会の礼拝の終わりでは、
いつもこの派遣の言葉を子どもたちと交わします。
(牧師)が「主は言われます、『わたしはだれをつかわすべきか。』」と
問いかけると、子どもたち(会衆)が「わたしがここにおります。
わたしをつかわしてください。」と応答し、
それに続いて私(牧師)が「キリストの平和の使者として、
行きなさい。」と派遣を宣言するのです。

 

 キリスト教の神と人間の関係では、私たち人間は神さまに
よって造られ、それぞれの使命を与えられて、
この社会に派遣されていると考えます。
私たちは神さまの代理です。神さまはその愛の働きのために、
私たち人間を用いられるのです。

 

 私たち人間は、外見も中身も人それぞれ。誰ひとりとして
同じ人間はいません。これは、神さまが私たち人間を
造ってくださったときに、私たち人間がそれぞれいろいろな
働きができるようにしてくださったからです。
みんなそれぞれの賜物(神さまからのプレゼント、
神さまから与えられた才能・長所)をもっていて、
その賜物を利用できる役割を与えられています。

 

 でも、この神さまから与えられている賜物(才能・長所)は、
どんなものであるのか、それを神さまは教えてくださいません。
それは私たちが生きていく中で、自分自身を見つめて、
見つけ出すものなのです。いわば「自分自身の中の宝探し」です。
キリスト教主義の幼稚園、学校では、この視点から、
一人ひとりに与えられている賜物を、先生と子どもたちが
一緒に探し、見つけ、伸ばしていきます。
子どもの賜物を見つけて生かすお手伝いをさせていただくのが、
キリスト教主義の幼稚園・学校なのです。

 

 私たちは皆、神さまからそれぞれの役割を与えられて、
地上に派遣されています。その中でも、特に子どもたちは、
これからの世界を造っていく、「未来の希望」なのです。
子どもたちの成長が、私たちの未来を変えてくれます。
周船寺幼稚園。周船寺第二幼稚園では、保育を通して、
子どもたちの賜物を探し、子どもたちがどのように
成長していくのかを毎日楽しみにしながら生活しています。