レモンの日記 | レモンのブログ

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日ごろ自分が感じていること、 

知らなかった事実、
知ってほしい事実、
をブログにしています。


 こんにちは
昨日も通院だったんですが
とにかく風が強くて(向かい風)
自転車が進まないんです。
ペタルが重くて、だんだんいやになってきて
帰ろうかなぁ・・・心が揺れました。
何とか病院に着いたとき1時間40分
経過していました。
最悪のタイムです。
帰りはそれなりに早く帰れました。
振り返れば、気持ちで負けていたなぁ
と感じます。風のせいで遅くなったとか
言い訳していますが、横ですいすいと走るっている
自転車がいたりして
やはり自分が悪いんです。
夜勤明けで体が疲れている(これは間違いなく事実です)
その気になっていない(これがいちばん大きい)
人間みんな一緒です。
気持ちで負けていたんでは
いい仕事は出来ません
今日も1日、頑張ろうという気持ちで
挑戦していきます。


今日の話題

映画監督として国際的に活躍し、今月15日に亡くなった、大島渚さんの葬儀が、22日、東京の築地本願寺で営まれ、多くの映画関係者やファンなどが最後の別れを告げました。

大島渚さんは、「戦場のメリークリスマス」や「愛のコリーダ」などの名作を発表し、テレビ番組でも活躍してきましたが、肺炎のため、今月15日、80歳で亡くなりました。
午前11時から東京・中央区の築地本願寺で葬儀が始まり、多くの映画関係者やファンなど、およそ700人が参列しました。

祭壇は、和服と眼鏡姿の遺影の周りにおよそ5300本の白い花が飾られたほか、ひつぎの中には愛用のマフラーや帽子、妻で女優、小山明子さんが「パパと一緒になって幸せでした」とメッセージを書き添えた折り鶴が納められました。

式では、テレビの討論番組で共演したジャーナリストの田原総一朗さんや映画監督の篠田正浩さんら、6人が弔辞を述べました。

田原さんは弔辞で、「大島渚監督は昭和が生んだ最大の芸術家、それも戦う芸術家でした。とても怖いけれど、心強い兄貴のような存在でした。その大島さんが逝かれて、残念で残念でしかたないですが、いたずらにさみしがっていては、どなられそうです。大島さんの魂を引き継がなくてはならないと強く思います」と述べ、別れを惜しんでいました。

「戦場のメリークリスマス」に出演し、テーマ曲を作曲した坂本龍一さんは
 焼香後、報道陣に大島の映画への熱を物語るエピソードをいとおしそうに語った。「『戦メリ』の後、たけしさんは映画監督になられて、世界のたけしになっていったわけですけれど、僕は残念ながら映画は作りませんでした。それで、大島監督に一度怒られまして。映画を作らないから『おまえはひきょうだ』と。『いや、そんなこと言っても才能がないんで』と言いましたけれど」

そして、参列者の焼香が終わったあとに、喪主を務めた、妻で女優の小山明子さんが「大島は映画人として本当に皆様に愛され、こんなにたくさんの方に見送られ、幸せな男だと思いました。闘病生活が長く、家族や友達に支えられ、最後はいい人生を送れたと思います。妻としてきょうほど誇りに思ったことはありません」とあいさつをしました。

戒名は、「大喝無量居士(だいかつむりょうこじ)」で、測ることができない解放された大きな「喝」という意味。テレビ番組で、時には「バカヤロー」と激高するなど熱い性格で知られた大島監督らしい戒名だった。

最後に、「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲が流れる中、大島さんのひつぎを乗せた車が出発すると、参列者は「監督、ありがとう」などの声をかけて、日本の映画史に大きな足跡を残した巨匠に最後の別れを告げていました。