歴史のことば劇場88



 TACO(トランプはいつもビビってやめる)と二転三転する関税政策を欧米メディアが揶揄したそうですが、

「ビビった」とされる原因は、株価や米国債の急落、つまり国際金融市場の変動でした。

ケインズは有名な『平和の経済的帰結』(1920)で、「既存の社会基盤を覆すのに最も確実で秘められた方法は、為替価値の下落だ」とするレーニンの言葉を引用しました。

  同書は、精妙な経済メカニズムが第一次大戦で毀損され、それを講和条約が修復するどころか徹底的に破壊したと説きますが、

ケインズによれば、19世紀の大幅な人口増加にもかかわらず、自由貿易と資本主義の倫理の下で、マルサスの予見した危機ー食料の増産は人口増加には追いつかず、貧困や戦争などが深刻化するーは回避された。

それは、自由貿易と資本輸出、主に欧州の工業製品と米国の農産物・鉱物との交換により、人口増と所得の増加が両立したからだ。

このシステムは節制、熟慮、先見性などのピューリタニズム、ヴィクトリア朝の美徳に支えられたが、第一次大戦とインフレにより「マルサスの悪魔」は解き放たれた。

ロシアで共産主義が伸張した問題に世界は直面し、「好ましい講和」が実現すれば解決したはずが、敗者を事実上破滅に追いやる「カルタゴの平和」により、総貧困化へ向わせた。

  じつさい、賠償金と債務超過がその後長らく国際関係を蝕み、追い込まれたドイツが報復戦争を開始したのは、ケインズの予見通りでした。

彼の提唱した欧州復興への米国の資金援助や「自由貿易連合」は、次の大戦後まで実現せず、ロシアには「闘争的な共産主義」が根付いた。

「人類の魂に宿る普遍的なものの煌めきが…これほど薄らいだことはかつてなかった」と同書は結んでいます。

  スキデルスキーのケインズ伝(村井章子訳)によれば、ケインズの「国政運営への姿勢にはバークの強い影響」が認められ、

若き日の未刊行論文(「エドマンド・バークの政治学説」、1904)には、

「(バークによれば)将来の疑わしい利益のために現在の利益を犠牲にするのが…正しいことはまずない…遠い先を考えるのは賢明ではない。人間の予知能力は乏しく、結果を変える力はごく小さい…

危険を冒す価値があると言い切れるほどの知識を事前に得られることはあり得ない…

めざす状態がそれまでの状態よりよいというだけでは不十分だ…実現までに生じる犠牲を埋め合わせてあまりあるほどよくなければならない」

とあった。

  ケインズの構想した「自由貿易連合」へのいわば保守的な回帰は、ブロック経済への反省から生まれたブレトン=ウッズ体制、マーシャルプラン、冷戦の開始まで実現しなかった。

「バークの主張が20世紀を通じて過小評価されるとはケインズにとって想定外」(同)であったように、

自由主義陣営による安全保障と自由貿易という「普遍的な煌めき」が回復するのには「想定外」の多大な時間と犠牲が必要であり、

この第二次大戦後の自由主義陣営による「平和の経済的帰結」こそが、社会主義や全体主義諸国による覇権や世界の混乱を事実上阻止した。

現在でも、奇妙な政策や政治判断を正すことができるのは、やはり国際貿易や金融市場の動向であり、

それもまた「普遍的な煌めき」である自由主義陣営の「経済的帰結」による影響といえるのではないでしょうか。